2010年06月01日

夜中にアイスがたべたくなったりしません

いま、ステレオタイプというものについて勉強をしていて、

紹介してもらった

『ステレオタイプの社会心理学 偏見の解消に向けて』(上瀬由美子かみせ・ゆみこ、2002、サイエンス社)

という本をよんでます。

コンパクトにステレオタイプについて書かれていて、
入門編としてよい本だとおもいます。
私はとても重宝しました。
ただ、かなり疑問なのは、

ステレオタイプは情報過多な現実社会で生きていくためには、たいへん便利で必要なものではありますが、これに否定的な評価や感情が結びつくと「日本人はケチだ」「女だから頭が悪い」というような偏見となってしまいます。


って、本のカバーのところにかいてあったんですけど。
これは、だめじゃないか。
なにかというと、
ステレオタイプは「大変便利で」というのは、百歩譲ってわかるとして、「必要なもの」なのか、すごくひっかかっています。

で、著者はステレオタイプと偏見と差別について、以下のように整理しております

カテゴリ
ある特徴をもつものを他から区別して分類するくくり(p.3)


ステレオタイプ
人々を分けるカテゴリーに結びつき、そのカテゴリーに含まれる人が共通して持っていると信じられている特徴(p.2)


偏見
ステレオタイプに否定的な感情や評価が結びついたもの(p.8)

差別
ステレオタイプや偏見がもとになった否定的判断が相手に対する行動として現れたもの(p.9)

まとめると、

カテゴリ+特徴をあてはめる=ステレオタイプ
ステレオタイプ+否定的な感情や評価=偏見
偏見+行動=差別

っていうことでしょうか。
「区別と差別はちがう」
っていう、例のアレですね。
これは、だめじゃないですかね。

差別は、偏見のさきっぽにあるものじゃない。
カテゴリー化の段階で、もう差別は発生してるでしょ。

学校の名簿で、女にシルシをつけるのは、それは区別であって差別ではない、そのシルシをもとに女への迫害がはじまったらそれが、差別だ、なんていうのは。
ちがうでしょ。

名簿に、女というシルシをつけることそのものが、差別です。

個人と個人の間に、男と女いがいに、たくさんたくさんの特徴があるのに。目の色とか、肌の色とか、ほくろの数とか。

小学校の名簿で、からだにほくろが10個以上ある人にだけ、シルシをつけてる先生がいたとしてどうでしょう。
「なんでそんなことしてるの」
ってききたくなるでしょう。
その先生は「ほくろが多い生徒は頭がいい/悪い」とかそういう信仰をもっていないと、そんなことしないでしょ。
おなじように
「勉強するのに、男か女かがどうして関係あるの?」
っておもいませんかね。
なんでそんなことするかっていうと、
小学校は勉強(だけ)を教える場所じゃないからです。
こどもが、曖昧な根拠をもとに男か女かというたった2つに乱暴にわけられて、
男と分類された人間は男らしさ、女に分類された人間は女らしさを勉強させられる場所でもある。
じゃなかったら、名簿に女ってシルシがついてるわけないでしょ。

だから、ステレオタイプどころか、カテゴリー化にそもそも、たくさんの特徴のなかからどうしてこの特徴を取り立てるのか、というその選択にそもそも。
ものすごい規模の、自分には関係ない力がかかっていて、ちっぽけな自分はその力に巻き込まれてしまうしかないわけで。
その力が、ものすごく理不尽な区分けを強いてくるばあいもあるわけで、それを差別といわないでどうするんですか。

「おまえは〜だ」と、名前をつけられる、「名前をつける」「名前をつけられる」という関係にそもそも、不平等なちからがはたらいていて、もちろんそれも、差別です。


いままでで私が激怒したのは、
大学院で自分が「留学生センター」って名前をつけられていたことです。

たぶん、私が日本人の大学院生と仲良くしないで、留学生たちとばかり遊んでいたからだとおもいますけど。
「留学生びいき=留学生センター」
ってことで、留学生センターへとカテゴリ化されてたわけですがね。

いえ、私はとくにそんな、留学生と仲良くしてたわけじゃないですよ。
べつに、ふつうに友達として過ごしてただけで。
「留学生センター」的なことはなんにも、してないです。
留学生トラブル起こしたりもしてたりしました。
「レジュメの日本語チェックしてください」っていわれて、「忙しいからダメ」とかいったり。最悪だ。
あと、「××さんは日本人にばっかり挨拶して、私に挨拶してくれない」みたいな留学生の訴えをききつつ、「まあまあ」って、留学生の側をなだめることしかしないで、「おまえらなにをやってるんだよ!」って、日本人の院生に怒鳴り込む、とかそんなことは一切しなかったですね。
あと、留学生の一人の発表レジュメの出来がよくなくて、同期の人が影で「だから中国人は〜」とか言ってたのが、聞こえてましたけど面倒くさくて放置したりしてましたしね。
ぜんぜん、留学生センターとして機能してなかったですね。

というか、なんかあの当時、一瞬、日本人の院生が嫌いだったんですね。
「先生への年賀状は筆でかけ」とか
で、相対的に留学生びいきに見えただけで。


だからさあ。
さいしょに決めつけ(ステレオタイプ)があって、そこから名付け(カテゴリ化)されるんじゃないの?

ある集団をAとなづけたら、ステレオタイプが発生して、それが偏見につながって、さらに差別にまで発展した、みたいな。
進化論じゃないとおもうんですが。

逆じゃないんですかね。


あ、もちろんこの本のなかでも、カテゴリ化やステレオタイプ化そのものについても、問題点は指摘されてはいるんです。
だから、本に書いてあることじたいに、そんなに異論はないんですよ。
勉強になる本だと思います。
posted by なかのまき at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記