2010年08月03日

文字論研究の紹介

前回の記事
「西欧の文字が象徴的意味をもたないということが「西欧言語の致命的欠陥」であるとしたフランス象徴派の詩人の指摘には、現代の言語学の文字研究の成果から判断する限り、わたしは賛同しません。


の根拠をしめさないまま終わってたのがきもちわるかったんで。
論文紹介します。

山田尚勇(1991)『文字論の科学的検証』「学術情報センター紀要」4、pp.261-318


この論文は私の授業でも学生さんによんでもらおうかとおもってたのだけど、時間のつごうでできなかったんですが。
これは、言語学の文字についての研究を紹介するときに、とてもいい論文です。理由は、

日本語で書いてある
CiNiiからPDFで読める
先行研究がまとまってる
よみやすい

要旨を引用します

我々は主として漢字かな混じり文を使いなれているために、自分が漢字に対して持っている先入観を基にした、科学的裏付けのない議論をもって、文字に関する普遍的真理と信じていることがかなりある。本稿においては、言語学、心理物理学、認知科学、脳科学などの観点から、講演形式を用いて、文字に関するそうした種々の主張を一つ一つ解明してゆく。


で、前回かいた

「一方で,東洋の漢字文化圏にあっては,一応の音声との対応があるとは言え,実質上,文字が音声を経ずに直接象徴的意味を伝達することがしばしばである.」
これは、漢字についての(私の知ってる)言語学の先行研究の結果とあいいれない主張ですね。

この私の発言の根拠は、この論文をよむとかいてあります。

中国語学会の長老、ハワイ大学のデフランシス教授が詳しく指摘なさっていらっしゃるように、(たとえばDeFrancis 1984)、全体として見れば、漢字は不完全ながらも表音表記体系として発展した文字ですから、発音が同じ文字は昔からお互いにかなり混用されてきたようです。しかも常に簡略化の圧力に動かされた変更も伴ってきたのです。(p.267)


「漢字は表意文字だ」っていうことだけがむやみにとりたてられてますけど、それは迷信で、言語学的に調査してみたら、漢字っていう文字だって基本は音なんだ、ってそれはわかってるんです。
日本語の漢字のばあいは訓読みってのがあるのでまたややこしいんですけど。

だから、「一方で,東洋の漢字文化圏にあっては,一応の音声との対応があるとは言え,実質上,文字が音声を経ずに直接象徴的意味を伝達することがしばしばである.」
っていうのは、文字学の先行研究をふまえずに、「漢字は表意文字だ」という素朴な迷信にとらわれたためにおこった主張でしょう。

山田氏の論文にもどります。このあと、
「漢字は見れば意味がわかるので筆談ができてよい」とか「漢字があると早く読むのにやくにたつ」「漢字がないと同音異義語をくべつできない」とか、そういう説にたいして、先行研究を紹介してそれらの説が科学的根拠のない迷信であることが指摘されてます。

さいごに、山田氏はこうのべてます。

漢字発生のごく初期に造られた、「日、木、山、川」などの数少ない象形文字を例に挙げて漢字の「表意性」を説くという、幼稚園児向きの話を全体に及ぼすナイーブな漢字論や、漢字はアルファベットよるも速く読めるといった、個人の経験から出る主観を文字の客観的特性と誤認している、独断的文字論が世に氾濫し、またそれに満足している人びとが多いということは、真に使い勝手のよい日本語の表記法を考える上では、大いに問題だと思います。もっと科学的、客観的な文字論を展開するだけの知見の蓄積は、もう十分に整っていることですから、今後の研究に期待したいと思います。(p.314)


だいたい、ちゃんと文字の研究してる人なら、これと似たようなことをいってるとおもう。だから、私は言語学の研究成果をふまえると、このあたりが妥当なんだろうな、と理解してます。

それで、私がけっきょくなにがいいたかったのかというと、
言語学者や日本語学者にも、「個人の経験から出る主観を文字の客観的特性と誤認している、独断的文字論」を文章にして学術書として出してる人もいるわけで。
しかも、けっこう多い。

言語学の文字研究の成果が、文字学以外を専攻する言語学や日本語学の専門家からもないがしろにされている面というのは、たしかにあるかもしれません。



posted by なかのまき at 11:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 文字のこと

言語学ってなに?

竹鼻圭子『しなやかな組織としてのことば』(英宝社・2009)
から引用します。

4章 文字と記号表象

1 視覚的表象としての文字とことば

1.視覚記号と音声記号

 フランス象徴派の詩人が,西欧の文字が象徴的意味をもたないということを指して「西欧言語の致命的欠陥」と指摘して一世紀になる.直感的には大方の賛同する言説であると思われる.(p.183)


こんなふうに始まります。
フランス象徴派の詩人が西欧の文字が象徴的意味を持たないということを指して「西欧言語の致命的欠陥」と指摘したことは、まあ(どうでも)いいですけど。もんだいは、「直感的には大方の賛同する言説であると思われる」っていうところが。
まず、私は賛同しないですね。

「大方の賛同」って、たぶん、印欧言語をしゃべってるひとの多くは「致命的欠陥」って思ってないとおもうし。
日本に多く漢字不可欠論者がいることをかんがえると、日本に限定すれば、まだわからないでもないけど。
それにしたって「致命的欠陥」って、だいぶ強いことばなので。西欧言語に致命的欠陥があるっていう説にそんなにほいほい賛同できるひとって、そんなにいないとおもうんだけど、そうでもないのかな。
大方は、西欧言語に致命的欠陥があるとはいわないとおもうけど。直感的には。

で、「直感的には大方の賛同する言説であると思われる」のところですが、直感は直感でいいんですけど、
それに関しては言語学の研究が積み重ねられてるわけで。
わざわざ直感なんていう危険なものにたよらないで、先行文献を読めばいいだけなのでは。
と私は読んで思ったけど、続きはこうでした。

しかし,現代の言語学はこのことについて説明してこなかった.統語論や意味論がもっぱらの関心事であったから,いたしかたのないことではある.

え?
現代の言語学で研究されてないの?

象徴的意味をもつ文字ってのは、
漢字のことでしょうが。

漢字については
DeFrancis,J.とかJ.Marshall Ungerとかの著書があるはずですが、これは言語学じゃないのかな。
それとも、私のしらないべつの言語学っていうのがあるのかしら。そうかもしれないな。統語論とか意味論だけをやってる集団のことを指して狭義の言語学とかいうのかな。いや。まさか。
でも、なんか私のしってる言語学とはべつの言語学を指してるような気もします。わからない。
ひきつづき引用します。


視覚記号が音声言語を表象することに特化されたものが文字である。この特色はSchmandt(1997)で詳しく考察されているように、西欧の文字に著しい。一方で,東洋の漢字文化圏にあっては,一応の音声との対応があるとは言え,実質上,文字が音声を経ずに直接象徴的意味を伝達することがしばしばである.このことは万葉仮名,墨蹟などの例に明らかであるが,この点を明示的に示すことが本稿の第一の目的である。


「一方で,東洋の漢字文化圏にあっては,一応の音声との対応があるとは言え,実質上,文字が音声を経ずに直接象徴的意味を伝達することがしばしばである.」
これは、漢字についての(私の知ってる)言語学の先行研究の結果とあいいれない主張ですね。
あと、万葉仮名と墨跡のあたりをよんだのですが、なぜ万葉仮名と墨跡をとりたててとりあつかうことが必要だったのかちょっとよくわからなかったです。あと、墨蹟ってなんですか。

まあ、ともあれ。
「西欧の文字が象徴的意味をもたないということが「西欧言語の致命的欠陥」であるとしたフランス象徴派の詩人の指摘には、現代の言語学の文字研究の成果から判断する限り、わたしは賛同しません。
posted by なかのまき at 01:22| Comment(3) | TrackBack(0) | 文字のこと