2010年09月09日

私たちは丈夫に梱包された貨物じゃない

清水真木(2009)「いわゆる「優先席」について」(明治大学教養論集44 pp.1-38)

「優先席」の三文字が指し示している空間は、かつて「シルバーシート」の名を与えられていた座席に代わるものとして、平成九年に姿を現したものである。シルバーシートは、昭和四八(1973)年に、当時の国鉄が普通車の自由席に設定した座席であり、この座席は、「お年寄り」と「身体の不自由なお客さま」が優先的に坐ることが望ましい座席として、他の座席から区別されていた。(略)
 現在の優先席に割り当てられている座席は、昭和四八年から平成九年までシルバーシートのために確保されていたのとほぼ同じ場所に割り当てられており、優先席がシルバーシートを引き継ぐものとして考案されたものであることがわかる。しかし、シルバーシートと優先席のあいだには、無視することのできない差異が横たわっている。


あ、最初にネタバレしておきますと、
この論文、かなり、くらいのたかいトンデモ論文です。

JR東日本が優先席に坐ることを想定している客層とは、「身体の不自由な方」「お年寄りの方」「妊娠している方」「乳幼児をお連れの方」の四種類である。
 これら四種類のうち、「妊娠している方」と「乳幼児をお連れの方」は、シルバーシートが設定されたとき、国鉄が配慮すべき乗客の中に数え入れていなかった乗客であり、しかも、優先席が設定されたとき、優先的に坐ることができるよう配慮することが望ましいと新たに考えられるようになった乗客である。


はい。そうですか。

 当然、「妊娠している方」とは、必ず女性であり、「乳幼児をお連れの方」もまた、大抵の場合、女性である。おそらくそのためなのであろう、JR東日本がこれらの乗客に配慮するようになったという点に関し、明確な異議申し立てが行われたことは一度もないようである。現代の凡庸な常識を前提とするかぎり、女性を重視するような方向への変化はすべて、何らかの意味において「進歩」と見倣されねばならず、JR東日本がシルバーシートを優先席に変更したという事実もまた、進歩として理解されねばならないからである。


強調は引用者です。
えーと。ネタにマジレスするのはカッコ悪いかもしれませんが。
女性の重視じゃなくて。「こどもを守る」じゃないの?
乳幼児連れてる男性だってふつうにいるんだし。
まあ。ともあれ。「現代の凡庸な常識」バンザイ。


誰もが実際に認めているのは、「女性に対し特別に配慮することが進歩である」ということではない。むしろ、「女性に対し特別に配慮することが進歩であるという主張を否定しないのが『政治的に正しい』(politically correct)態度である」ことが万人の同意できる唯一の点である。言い換えるなら、誰もが認めることのできることがあるとするとするなら、それは、次のような点だけであることになる。「シルバーシートが優先席へと更められるにあたり、妊娠した女性と乳幼児を連れた女性が優先的に坐ることができるよう配慮されるようになったという事実を進歩と認めない者は、『恥ずかしい』『野蛮だ』『時代錯誤だ』などの情緒的、道徳的な非難の言葉を向けられることを覚悟しなければならない」こと、「優先席の誕生が進歩であることを公然と疑ったり否定するには勇気が必要となる」こと、「この点に関し露骨な異議申し立ては避ける方が無難である」こと、万人にとって同意することが可能であり必要であるのは、これらの点だけであろう。


ところでこの清水真木(しみずまき)という人は明治大の商学部の准教授で、哲学が専攻だそうです。
日常的なことがらから深淵な思考のテーマをひきだす。
さすが哲学。
「なぜ優先席に妊娠してる人と乳幼児をつれてる人はすわってよいのか」
なんて哲学。


妊娠した女性や乳幼児を連れた女性に対し席を譲るべきであるという要求には、確実な根拠が欠けている。これは、さしあたり、受け入れることが「政治的に正しい」態度であるような要求、それ自体として妥当であることの根拠が問われることはないような種類の要求にすぎないのである。


はあ。
まあ。たぶん。確実な根拠は。
「大人がのることを前提につくられた電車にのるには、こどもはあまりにも弱いから、大人がみんなでこどもを守るためにすわってもらう」
だとおもうが。

で、このあと昔は妊娠した人と乳幼児を連れてる人に席をゆずるのはマナーでもなんでもなかったということが説かれます。

そして次。

障害者に目がいきます。
シルバーシートの話にもどって、


現在でも、「シルバー」という修飾語は、高齢者に関するものを表示するために使われている。障害者に関連するものに「シルバー」の語が用いられることはない。障害者が「シルバー」という言葉を含むもの、たとえば施設やサービスを利用するためには、彼女は、障害者であるばかりではなく、高齢者の資格もまた満たしていなければならない。「シルバー」という修飾語を含む表現が使われるとき、私たちは、高齢者だけを想定しているのである。


はい。
優先席にすわることが想定されてるなかで、著者は、

「妊娠してるひと」「乳幼児を連れてるひと」に席を譲るには明確な根拠がない。
「障害者」にたいしては、優先席の前身のシルバーシートにことよせて、「シルバー」と名前がついてるものは高齢者だけを想定してる、(障害者は想定されてない)と述べてます。

そして結論は以下のようになっております。


私が席を他の乗客に譲ることができるためには、相手の乗客が、尊敬の感情を惹き起こすための一般的な条件をみたしているように見えることが必要となる。そして、尊敬の感情を惹き起こすような性質を具えていると伝統的に考えられてきたのは、「高齢者」と現在呼ばれているような人々であった。



最後、このような言葉でこの論文はむすばれております。


しかしながら、最近の日本では、電車やバスの車内において席を譲る相手に関し、これまで述べてきたような理解とは相容れない考え方が見出される。そして、それは現代の日本人に特徴的なある弱さを反映しているように思われる。


妊娠してる人や乳幼児をつれている人に席をゆずるのが「弱さ」であるなら。弱さというものも、すてたものじゃないね。
そういう弱さを、わたしはもっていたいです。

というか。
もう、だらだら引用したけどこのさいこの論文はどうでもいいので。


電車にのるのがつらい、っていうひと、たくさんいます。
満員電車とかは、わたしもつらいです。
体調がわるいときは、なおさらです。

電車のしごとは「はこぶ」です。
私たちは、宅急便がこわれないようにきっちり梱包するけれど、自分が電車ではこばれるには、やっぱり、かんぜんに強くなれないで、弱い部分もあったりするわけで。
席を譲る、っていうのは、電車のもつ、「スムーズに運行されるには、運ばれる人間にある程度の強度を要求する」というふべんな欠点を、
完全にではないけれど、それなりに、おぎなうための行為なんだとおもう。

席を譲る、なんて博愛の精神ではなく、
「明日も無事に電車がはしるために。
あわよくば空いてる席に自分が座れるように」
という、利己的な行為で私はそれをやっていて。
だって、立ってるのが辛そうな人に席を譲らない人間ばかりになってしまったらそのうち法律できまりますよ。
「○歳以下の健康なものは電車の椅子に座ってはならない」
みたいなね。そういうのが。

人間の弱さを考慮に入れない鉄のカタマリが、明日も運行するために、電車のシステムを維持し続けるために、譲ってるんです。

でも、疑問もあって。

こんなバカな距離を毎日移動しないと生活が維持できないなんておかしいんじゃないかとか、こんな大勢でいっぺんに移動しなくてもいいじゃないかとか、
もうすこし、弱いときにでも快適に乗れるようにしてくれないものだろうか、とか。

いろいろおもいながら、それでも電車に依存していきてます。

posted by なかのまき at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記