2010年10月26日

ゲーム脳はもういいです

宮本まき子(みやもと・まきこ)2010「ゲームばかりして宿題をしない」『児童心理』919 pp.81-85

Aさんの妹は20代で離婚し、故郷の親の家に戻って働き始めた。甥っ子は保育園が遠いため祖父母が家で世話をしたが、この子は二歳(!)のときからパソコンのキーを操作してゲームをするのが大好きだった。(略)
Aさんは帰省のたびに甥っ子がテレビゲームやオンラインゲームに熱中して、夜中まで起きていて遅刻したり、小学四年生という年齢のわりに奇妙に「冷めた」言動があるのを心配してきた。同年代のわが子に比べて明らかに友達が少ないし、スポーツや体を動かす遊びもしない。子供らしい感情の発露が乏しく、突然怒りっぽくなるほかは、陽気にはしゃいだり泣いたりすることが少ない。(略)「ウチの子にみんな持ってるからとねだられたDSを、外出するときは退屈しのぎに持たせてやらせています。ゲームは持っていて当たり前、やって当たり前で、叱ることはないのですが、甥っ子をみていたら心配になってきて……」とAさんは戸惑う。(pp.82-83)


「わが子に比べて明らかに友達が少ない」「スポーツや体を動かす遊びもしない」「子供らしい感情の発露が乏しい」とか。
「余計なおせっかいだ」って言っていいんじゃ。
なんで友達が少ないことがいけないの?スポーツきらいな人間だっているじゃん。「子供らしい」ってなんだよ。
ってのがまず、きもちわるい。「あるべき健康な子供の姿」から甥っ子がこれだけ逸脱している、ああ、心配。って。よけいなおせわだろう。

あと、ぜんぶゲームのせいにしていいの?
甥っ子が心配なのは、まあ、それはそれでいいですよ。
でもそれぜんぶ、「甥っ子がゲームやり過ぎだから」って、そういう因果関係でいいの?
甥っ子からゲーム取り上げたらそれですぐに、友達がふえて、スポーツをガンガンやって、「子どもらしく」なるわけ?

で、この論文のおもしろいところは、
ゲームをやる人間の友達のすくなさを問題としながらも、すぐ後ろで、

「ゲームがないと仲間はずれになる、イジメにあう」と必要以上に心配するのは、親子二代の思いこみだろう。それくらいで壊れるような「もろい友情」なら失くしても惜しくないし、物を介在しなくとも友好的な子がゴマンといることを最初からわが子に教えたほうがよい。(p.83)


「友達がすくない」のは問題なのに、「もろい友情」なら無くしても惜しくないんだって。
なんだ、これ。できのわるいコントのシナリオをよまされてる気分。

「ゲームをやる子は友達がすくないんです!」
「でも、ゲームをかってやらないと友達ができないっていう面もあるんですよ」
「そんな友情はなくしてもおしくないです!」

けっきょく友情は大切なのか、惜しくないのか。
それとも、「スポーツ友達は大切だけどゲーム友達はなくしてもいい」って、友達を属性で差別するのか。
けっこうひどいこといってるってきづかないのかなあ。友達、の向こう側にはかならず、具体的な顔があるわけで。
それって、「○○君はゲーム友達だからなくしても惜しくない」って子供に親が言うってことだよね。
まあ、けっこう本気なのかも。
「○○君とバスケットボールするなら遊びにいっていいけど、××君とゲームするなら、××君とあそんじゃいけません!」
ってことか。

まあ、それはおいておいて。
本題にはいります。

「サルでもできる」が売りのパソコン操作だから、学齢前でもキーを叩ける時代である。いっとき「ゲーム脳」という言葉が議論され、長時間のテレビゲームが脳の働きを阻害すると警告されたことがあった。(p.83)


でた。ゲーム脳。
うん。で、そのゲーム脳説が科学的根拠にとぼしいヨタ話だってこともさんんざん警告されてますね。それにかんしてはいかが? なぜそれについては触れないの?


文科省は2004年から1000人の子どもを10年間にわたって追跡する大規模な調査を始めたが、その中間報告的な論文等でも、ゲームそのものが直接原因の障害は立証されていない。
ただし、本来なら運動遊びや他者との人間関係づくりの発達に費やされるはずの時間をゲームに「時間泥棒」されているのは明白である。長時間続けば体力的にも社会的にも未熟のまま自立を阻害される恐れがあるだろう。


自分の論の根拠となるゲーム脳とやらがどんなもんであるのか、ちゃんと調べもしないで思い込みで自分の都合のいいように書き散らして原稿料せしめてる「社会的に未熟な人間」に説教されるいわれはない。

文科省のメディア調査の結果がでるのは2014年以降ということは、「実はこうでした」というサプライズがあったとしても、いまの小学生には「手遅れ」ということだ。(p.84)


うん。で、「サプライズ」がなかった場合どーするの?
ゲームやっていいの? 

なんか、こういうニセ科学にしがみつく人ってじつは、科学を軽視してるんじゃなくて、
科学をいみもわからずあがめたてまつって過剰に評価してる人なんだよね……
科学を、「なんでも切れる文化包丁」かなにかとカンチガイしてませんか。

「ゲームをやっちゃいけません」の根拠を、科学にだしてもらおうとしたって、「そんなもん出ませんでした」ってなったとき、どうするの?
ちゃんと、この論文撤回してくれるの?
「ゲームはやってもかまいません」って言ってくれるの?
いや、つごうのいい場面で科学様にやたらおすがり申し上げて、都合がわるくなったら「どうせ科学なんかでは証明できないことはいくらでもあるのさ」とかいいはじめるんでしょうねえ。「まだまだ科学で解明できてないことはいろいろあるんだ」とか。とかいって、
「とにかくゲームはだめといったらだめなんだ! 科学なんか関係ない!」ってなるんでしょ。

なんか、ゲーム脳なんてあやしいものにたよらなくても、「ゲームばかりして宿題をしない」という問題にはたちいれるとおもうんだけど。
だって、「ゲームばかりして宿題をしない」って、あきらかに科学のもんだいじゃなくて躾の問題だもん。
「ゲーム脳」をつかってゲームを叩くのは、「ゲームばかりして宿題をしない」という問題をかんがえるとき、やりかたがぜんぜんうまくない。

で、なにが問題かっていうと、このニセ科学に依拠した論文が、2010年刊の「教育心理」っていう教育系の雑誌に堂々とのってしまうこと。
ニセ科学のマーケットとして、教育っていう場があるんだな。
ということを、かんがえないではいられない。
posted by なかのまき at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ニセ科学;筆跡学