2010年12月13日

「うまれつき」のうさんくささ

「うまれつきかうまれつきでないか」ってそれを考察するのはお前の仕事じゃないよ

という記事をかいたのだけど、
うまれつきかうまれつきでないか、
という問いには私はすごくこだわっている。

というか、
「うまれつきかうまれつきでないか」というどうでもいいことをこだわる人にこだわらないではいられない。


ひだりてききのうまれつきうまれつきでないを、なんか科学的に解明するという、研究があって、それそのものはいいんだけど、それになんか意味をもたせちゃだめだよね。

「左利きは右脳人間だから芸術に向いてる」
とか
「左利きは生まれつき天才が多い」
とか
「左利きは性ホルモンの関係で発生するから同性愛者が多い」
とかね。

八田武志(はった・たけし)1996『左ききの神経心理学』(医歯薬出版株式会社)

第3章 きき手誕生のメカニズム

より
なんで左利きが発生するかの説を紹介します。



1.遺伝説
2.脳損傷説
本来なら右ききになるはずが、左脳にごくわずかの損傷があるために右脳にその役割を肩代わりさせ、それによって左手の使用が多くなる(略)すなわち、未熟児出産や難産による仮死状態での出産などにより、脳に損傷が生じたために左利きになる(略)そして、臨床心理学の対象となる知恵遅れ、吃音、学習障害、自閉症などの子どもに左ききが多い(p.54)
3.脳梁発達説
左ききが生まれる原因に脳梁における交連線維の軸索の欠落が考えられることを裏付ける資料として、未熟児のきき手についての調査報告があげられる。(略)未熟児の中で右ききでない子どもに、IQが低いことと言葉の発達が遅いことも見いだされた。(p.62)
4.脳内ホルモン説
左ききが男性ホルモンの異常な分泌によるという考え方は、左ききに自己免疫不全や免疫疾患などが多くなることを示唆している。自己免疫に関係するものには、潰瘍性大腸炎、小児脂肪便症、糖尿病、甲状腺障害、リウマチなどがある。左ききにこのような病気が多くみられるかどうかを多くの研究者が検討している。(p.67)
(略)ホモセクシャルが男性ホルモンが十分でないことから生じるという考え方からは、ホモセクシャルの中に左ききの多いことが予測できることになる。この予測の妥当性をいくつかの研究が検討している。(p.73)


……うーん。まあ、わかりました。八田氏にとっては、
左手ききは正常な右手ききからまちがって発生した異形ってことなんですね。

ひどいな。
いえ。ちょっと、感情的にはひどい、としかいいようがないですが。
まあ。
こういう研究があってもいけないわけではないですね。
そして、そういう結論がででも、かまいません。
男性ホルモンがくるったおかげで私が左手ききになったとか、
そういう結論がでてもかまいません。

いまのところ出てませんが

まあ。
もし将来、左手ききの発生はホルモンのせいということになったとしたって。
いいですよ。「うまれつき」だとわかったとしても。いいですよ。

で、それと、

左手ききを矯正していいかいけないかはまったく関係ありませんからね。

なにかというと、
「左手きき矯正はよくない」
の根拠に「うまれつきだから」をもってきてはいけません。

これについては、

伊野真一(いの・しんいち)2005「脱アイデンティティの政治」『脱アイデンティティ』(上野千鶴子編・勁草書房)pp.43-76

より

2.アイデンティティの生物学的基礎論―性的指向をめぐって

これまでのアイデンティティの政治において、同性愛者がどのように定義されているのか、何が前提とされているのかを検討してみよう。(略)
 原告でアカーの裁判闘争(引用注:「府中青年の家」裁判)本部長であった風間孝は、(略)「同性愛者は人口の10%といわれる。同性を好きになるか、異性を好きになるかという性的指向は、人種や性別と同じように個人の意思で選択できないこと」と語っている。(毎日新聞1994年3月29日)(略)
さらに風間は、性的指向に「本人の意思では選択や転換ができない」という意味を与える他に、「指向」「志向」という言葉を使うことが同性愛を私的領域の問題とみなすことにつながるのだとする。今日では、orientationの訳語として「指向」を選択するという問題から離れて、「嗜好」「志向」と記述されること自体が誤りであるという主張が様々な書き手の著作に散見されるようになっている。しかし本来的には、「嗜好」「指向」であったとしても差別されていいわけでもない。


これは同性愛者の例なのですが、私は伊野氏に強く賛同します。
うまれつきだろうとうまれつきでなかろうと、差別しちゃだめなんですよ。

あまりいろいろなことを一緒にかんがえてはいけないのですが、左手きき矯正にも、伊野氏のいうことはあてはまると私はかんがえます。

小林比出代(2005)「左利き者の望ましい硬筆筆記具の持ち方に関する文献的考察」『書写書道教育研究』20 pp.30-40



 3.9 左手書字から右手書字への「矯正」の是非

という章があるのですが、
ここには「左手ききの矯正は脳やなんかに悪い影響を与えるからしちゃいけません」
みたいなことがかいてあるんですが、おかしいでしょ。

もし脳に悪い影響がなければ矯正していいの?

そうじゃなくて、左利きのききて矯正がいけないのは、
マジョリティがマイノリティをおしつぶすことがいけないから、いけないんでしょ。
そこに「うまれつきうまれつきでない」という生物学的な判断は一切不要なんです。

左利き矯正は、マイノリティをマジョリティへ同化させる差別です。
つまり、「矯正の是非」とは「差別の是非」でしかないわけです。
「矯正していいかしていけないか」という問いは要するに「差別していいかいけないか」
という問いです。
その設問になんの意味があるの?

そして、その答えが「生まれつきだから矯正しちゃだめ」って。
うまれつきじゃなければ矯正していいの?
うまれつきじゃなかったら差別していいの?

もちろん、「左手ききはうまれつきだから矯正しちゃダメ」が説得力があった、戦略として生物学的根拠を採用した、その経緯はしっておかなければいけないし、それを根拠に行った過去の運動に意味がなかったとか、間違ってたとかいう判断をくだしたいわけではないです。

ただ、これからはそれを根拠として使い続けることは、むしろ危険だとおもう。
「うまれつきだから」という、生物学的根拠におすがりしちゃ、だめでしょう。
生物学という科学様をまつりあげられて、お守りがわりにつかっちゃだめです。

posted by なかのまき at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記