2011年01月05日

書写・書道の先生にのぞむこと

なんどか紹介した

小林比出代(こばやし・ひでよ)2005「左利き者の望ましい硬筆筆記具の持ち方に関する文献的考察―書写教育の見地から」『書写書道宇教育研究』20 pp.30-40

についてとりあげます。

まずね、この論文、タイトルと中身がちょっとずれてるんですね。

かなりのスペースを、左利き・左手書字者の右手矯正の是非について生物学・心理学的にお勉強した結果のまとめに使ってて、そこまで「左利き者の望ましい筆記具の持ち方」にかんして、スペースを割いてないんです。
しかも、「左利き者の望ましい筆記具の持ち方」についてなにいってるかというと、箱崎総一の『左利き書道教本』の紹介してるだけなんですよね。
私はあんまり『左利き書道教本』すきじゃない。
こんなめんどうくさい無意味なことやるくらいなら毛筆書道やる必要なくない?
と、つねづねおもってしまうわけで。

この論文のキモは、『左利き書道教本』のおしらせ、ではなく、
先行論文をひいて、左利きに右手矯正をさせることははたしていいことなの?
という問いにあるとおもいます。
「左利き者の右手書字矯正の是非をめぐって―生物学・心理学的観点から」
みたいなタイトルなら、よかったかな。

で、論文の大詰めとなるのが、以下。
小林氏は、利き手について、生物学と心理学からアプローチします。


V 左利き及び左利き者の書字に関する文献学的考察―生物学・心理学の分野から
9 左手書字から右手書字への「矯正」の是非
(略)
 生物学及び心理学の見地から考察した場合、右利きが多数派ゆえに、右利きの方が社会生活において便利との理由だけで安易に利き手を変更させることには強い危惧の念を抱く。(略)利き手及びその変更に関する問題は脳のプログラムと直接かつ密接に関わる点を理解した上で、本質的な課題について熟慮し、利き手に関する問題において本当に変えなければならないものは何なのかを理解する必要がある。少数派とされる左利きの在り方を理解し、日常生活の諸場面で様々な方策を講ずることが望ましい。(p.35)



ここの記述のなにを問題かと考えるかというと、


今現在、実際にひだりききでありながら、右手書字をして生活をしている人への想像力の欠如です。

小林氏が、

馬場一雄(1996)「左利き」『小児内科』28-10 p.1447
「(既に発生した左利きに対し)現在では、左利きは遺伝や左半球の障害のような生物学的な要因に基づくことがほぼ明らかになっているから、無理に右利きに変えることは有害無益であると考えるものが多い」

八田武志(1996)『左ききの神経心理学』(医歯薬出版株式会社)
「ある人が左ききであるということは右脳が優れた手指運動機能を持ち細かい運動コントロールを巧みにできることが遺伝的にプログラムされていることになる。このような遺伝的なプログラムがあるのに、わざわざ反対の左脳に手指運動コントロールを委ねようとするのは(中略)仮にうまく右手での書字や道具の使用が可能になっても、左手であればはるかに優れた機能を持てたかもしれないということになろう」

などといった論を引用し、利き手変更が「生物学的」によくないことなのではないかという可能性を述べています。
「うまれつき優れている方の手じゃない方に矯正したら、脳に悪い影響がでないか」
という懸念です。

ここが、私はきもちわるいんです。
まず、そこまで言えるほど左手利きのしくみは解明されてないでしょう。
で、いま、右手書字をしてるひだりききなんかいっぱいいるわけですよ?
あと、「小さい頃に矯正されて右利きになった」って人も、私の同世代にも、まだまだいます。
じゃあ、そういう人たちは矯正をうけたことで脳になんか悪い影響が出てる人たちなの?
というのと、うまれつき右利きで、病気や事故かなんかで、右手でペンをもてなくなって、左手をつかって生活してる人たちがいます。そういう人たちは脳になんか悪い影響がでるの?

そこまで、生物学的に決定的なものなの? 利き手って。
生涯まもりとおさなければ生物学的に支障がでるほどに?
そこまでいえるほど、利き手の研究はすすんでいますか?
また、もし仮にそういえたとしたって、病気などで利き手が使えなくなった人の利き手変更をさえぎらなければいけないほどの支障がでるんですか?

「うまれつきだから矯正しちゃだめ」
という説に私が抵抗をかんじるのは、今現在、矯正をうけて生活の全部であれ一部であれ、右手をつかってやっている人への想像力が、あまりにも欠如しているからです。
また、余儀なく利き手変更をしなければいけなかった人への想像力も。


だいたい、そもそも「利き手」ってなに?
ちっちゃいころに親に矯正されて「私はみぎきき」っておもってる元左ききとか。
左ききと自認しているけど、字は右手でかく人とか。
かぎりなく両手利きにちかい人とか。

私は自分でも「ひだりきき」っておもってるし、わりとなんでも左手でやってしまうほうですが、
パソコンのマウスは右手持ちです。
あと、なんか財布から金を出すときは右手で出します。

あと一番大きいのは、楽器の弓を右手で持ちます。
楽器の弓は、ふつう利き手で持つもの。
でも、私は非利き手でもってます。子どもの頃にうむをいわさずそうやれと言われたので仕方ないですね。
だからといって、
八田氏のいうように「左手であればはるかに優れた機能を持てたかもしれない」かと考えると、わかんないですね。
べつに利き手で弓もってる人たちに劣ってるとは考えませんし。
慣れもおおきいじゃない?

あとは、しりあいに左手利きで、右手書字者の書家がいます。
この人もべつに、非利き手を商売道具にしているからといって、利き手で字をかいてるひとに引け目を感じているようにもみえません。

というか、今現在、右利きの人がやってるように、ぜんぶのことを利き手でやることって、左ききの人には難しいんですよ。かならず、右利き同様に右手を使わなければいけない場面はあります。
それなのに、いきなり「利き手じゃないほうを使うと脳に影響が」なんていらないおどしをかけないでほしいんです。

私は、今の段階では極力いいたくないのですが、ひだりてききの人が右手書字をしたい場合、その権利も保障されなければいけない、と、おもいます。書道やるならかならず必要です。この権利。
もちろん、ひだりてききの人が左手書字をする権利もまったく同等に保障するという前提があって、ですが。

それを、「脳に影響が出るから」とおどしをかけてはいけませんよ。
右ききだろうが左ききだろうが、右手で字をかいても、左手で字をかいてもいいんです。
今の段階では、ちょっと、ぜんぜんこういうこといいたくないけど。

なので、生物学的根拠をいくらならべて「左ききはうまれつきだから矯正しちゃだめ」とくりかえしても、しょうがないでしょう。

けっきょく、みぎききかひだりききか、という個人の属性は関係ないんです。
小林氏も述べていますが、大切なのは、社会をかえること。

利き手に関する問題において本当に変えなければならないものは何なのかを理解する必要がある。少数派とされる左利きの在り方を理解し、日常生活の諸場面で様々な方策を講ずることが望ましい。


この小林氏の意見に賛同します。

日常生活の諸場面で左手書字者がこうむるさまざまな不利益をなくしていきましょう。とくに左手書字者のこどもにとってすごいめいわくな、義務教育における毛筆必修を廃止し、手書き文字偏重をみなおしてください。
左手書字者に手で字をかくことを強制せず、パソコンによる書字を手書きとおなじように保障してください。
どうしても左手書字者にてがきの字をかかせたいなら、現行の文字の字体をぜんぶ、右手でも左手でも問題なくかけるものに改造してください。

書写の先生がやらなければいけないことって、「脳に影響がでるかもだから、矯正だめ」って左ききと左ききの子の親をおどしつけることではなく、そういうことでしょう。
そういう議論を、のぞみます。
生物学・心理学については、もう少し専門家の研究成果が蓄積されるのを待ちましょう。いまの段階ではなんとも。


えーと。あと、かんけいないけど。

小林氏がかなり主要な先行文献としてあげて、なんども引用している

坂野登1998『しぐさでわかるあなたの「利き脳」自分でも知らなかった脳の”性格”と”クセ”』(日本実業出版社)

という本ですが、だいじょうぶですか?
いや私はこの分野にはぜんぜんくわしくないのですが、
タイトルがなんともかんとも。
posted by なかのまき at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 書道教育

2011年01月11日

ひだりききを「きょうせい」しないことに理由はいらない(はずかしいくらいにあたりまえ)

あたりまえのことですが、カンチガイしてる人がいるので確認します。

利き手矯正の是非について。

まず、利き手で字をかくことに理由はいりません。
たとえば、ひだりききの人が「左手で字が書きにくいなら右手でかけないの?」
という質問(というか恐喝)をうけたときは「え、なんで?」でいいんです。
なぜなら、質問の内容が意味不明だからです。
なにも前提がなければ、「利き手じゃない方で字をかけ」といわれる意味がわからないわけで。
まあ、「字は右手で書くようにつくられてるんだから」というあちらの言い分も想像できますが、それをやさしく察してあげる必要はありませんし、それはこちらの責任ではありません。
むしろ、他人に、「利き手じゃない方で字をかけ」という人間が、他人の生き方にわけのわからん口出しをしてくる人間のがわが、

「なぜおまえは利き手じゃない方の手で字をかかなければならないのか」

ということについて、きちんと説明する責任があります。

前回紹介した、

小林比出代(こばやし・ひでよ)2005「左利き者の望ましい硬筆筆記具の持ち方に関する文献的考察―書写教育の見地から」『書写書道宇教育研究』20 pp.30-40

は、そこをはきちがえているんです。

「左手利きを矯正してはいけない理由」が資料をもとに述べられているのですが、そもそも、「左手利きが利き手で字をかく理由」はいらないわけなんです。
それをかんがえると、「左手利きを矯正してはいけない理由」は、さらに意味不明の設問です。

きほんてきに、「利き手の矯正の是非」とは、

「左手利きを矯正していい理由はあるかどうか」

という一点だけです。
左手利きを矯正していい理由がきちんと説明できないかぎり、それ以上の議論は不要で、「非」です。

「左手利きを矯正してはいけない」を証明する必要はまったくありません。


きびしく問われるべきは、「矯正をする理由」です。
そこをはきちがえている。

もし、ひだりてききのこどもを矯正をするべきかどうか、迷っているひとがいたとしたら、
いちばん基本的なことを、思い出して下さい。


ひだりてききもみぎてききも、利き手で字をかくことに理由はいりません。

他人の利き手を変更しなければならないと考えるのであれば、他人を納得させるための理由を説明する責任があります。

もし、矯正をすることを選択するのであれば、
その理由をきちんとかんがえて、自分も相手も納得できるように、いつでも説明できるようにしてから、ふみきりましょう。
posted by なかのまき at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと

2011年01月25日

こくごのとくしつ(かえるのへそ)

『月刊国語教育研究』2011年1月号で
「国語の特質をどう教えるか」という特集をやっていたので紹介します。

石塚秀雄「国語の特質をめぐって」 pp.2-3

というのが、私の考えていたことを示してくれていたので引用します。


大体、「国語の特質」という言葉を学習指導要領に使用するに当たって、作成委員会の中でどれほどの討議が行われたのか、少々疑問にすら感じられる。(略)
 私たちは通常、「国語の特質」と言われれば、「日本語だけが保持している特別な性質、特殊な性質」と考える。これは日本語以外の言語を視野に入れなければ把握することは難しい事柄である。事実、次々に刊行された学習指導要領解説(文部科学省)においても明確な説明はない。
 小学校においては、各学年とも「言葉の働きや特徴に関する事項」の解説で「考えたことを表現するのが言葉の働きである」とし「言葉は時間の経過によって変化する」ことを学ばせようとしているが、これは日本語独特の性質というわけではあるまい。言語一般に通用する事実である。(略)
 こうしてみると、「国語の特質」と言っても、少なくとも小・中学校における学習は、現代日本語の把握と理解を求めるものであることがわかる。旧来の「言語事項」とそれほどの差異はないのである。


うん。私もこの分析は妥当だとおもいます。
差異はないというか、むしろ、なにいってんだかよくわかんない「国語の特質」なんていう名前は改悪でしょう。
「国語の特質」なんて「かえるのへそ」とおなじくらいなんのことをいってるのか意味わからないことばです。

これについては以前、

「かえるのへそについて学びましょう。ないけど」

という記事をかきました。

同じ雑誌で、
「日本語の特質」っていう特集と「国語の特質」っていう特集をやってるんですね。

ところで、紹介した石塚氏の冷静な論が乗っている、その雑誌の巻頭言がすごい。

川本信幹「正しい日本語を守るために」

日本語の衰微・劣化が叫ばれて久しい。学校教育が正しい日本語を守る……(略)
近年は、大学で「国語学概論」や「国語科教育法」を勉強しないまま教壇に立ち、国語の授業を担当している方が少なくない。ぜひ、「国語学概論」くらいは自分で勉強して「国語の特質」のなんたるかを理解しておいていただきたい。


「国語学概論」よんでも「国語の特質」のなんたるかは理解できないとおもいます。
「カエル学概論」よんでも「カエルのへそ」のなんたるかは理解できないのとおなじで。



あともうひとつ。
「日本語の特質」関連のおもしろを紹介します。
おもしろいのでぜひリンクからたどってよんでみてみてください。

「ことばと文化のミニ講座-明星大学人文学部 日本文化学科」vol.16「日本語の特質について」(和田正美・教授)
日本語には男言葉と女言葉の違いがある。これは日本語が高度に発達したことの証しであり、決して封建性の表れなどではありません。


学生が教員にまるで友達のように話しかけるのを聞いた時、私はその学生を軽蔑する以上に、その教員を軽蔑しました。


また女はよほど特殊な状況を除いて、男言葉を使ってはいけません。男女の間に何の差もないという歪んだ教育思想とは縁を切って下さい。


などというおもしろ発言もみのがせませんが、

「卒業論文→卒論」のような社会的に承認された語以外の省略語は言わないこと。


えーと。「卒論」ってそこまで社会的に承認された省略語だったっけ?
社会って大学のうちがわのことなのか。
ということもきになりつつ。


外来語はそれ以外に適当な言い方がない場合にだけ使用すること(フラワーは良くない)。


「フラワーは良くない。」
なぜいきなりフラワー。
posted by なかのまき at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 国語教育

2011年01月28日

筆跡診断のあぶなさ

ある人とゼブラの筆跡診断の話をしていたら、
「ああ、ゼブラはその筋では有名だよね」
っておしえてもらいました。


遠赤外線で血行をよくする
書くだけで疲れを癒すボールペン


ああ……うん。

詳しくはこちらで検証されております。
紹介します。

遠赤外線筆記用具のウソ」(市民のための環境学ガイド)


さて。
というわけで。
ついでなので以前も紹介しましたが、ゼブラの筆跡診断のページについて。

しまうまくんの筆跡診断テスト

これ、ただの遊びかとおもったのですが、改めてみると結構問題が多いので、とりあげます。

この筆跡診断テストは、


性格診断」と「相性診断」があります。
どっちも非常に問題です。





これ、

(1)字の縦線と横線のつなぎ目が閉じてるか開いているかどっちつかずか
(2)かまえの下部がひろいかせまいか
(3)カドがかどばっているかまるいか
(4)玉部の横線が均等かふぞろいか

という部分の組み合わせで性格がきまるルールです。
ルールなんだから「なんで?」とか考えても仕方ないね。

で、結果がでる。以下のようなの。
(以下、画像はすべて「しまうま君の筆跡診断」から一部引用しました。

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あなたは気分こそが人生の司令官タイプです。

判断力が弱いので、何かというとルールに頼りがち。
もしくは理屈ではなく勘で一発勝負を賭ける危なっかしいところもあります。
感情に左右されるタイプで、安定しているときは優しさが表出します。
ただし不安定だと自分でもコントロール不能に…。


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あなたは根っからの自由人!
ボヘミアンタイプです

あなたの性格はズバリ、ラテン系。
ユーモアいっぱい、自由を愛するボヘミアンな性格です。
気取らず大らかで、他人の言うことなどどこ吹く風。
手先が器用なのでものづくりにも向いています。
アイディアが豊富なのでお金儲けも得意でしょう。




注 筆跡診断は統計に基づく心理学です。書く人の気分や状況で文字も変わってくるので、通常書いている文字に近いものを選択して、性格を知る参考にしてください。




で、これが罪のないどうでもいい遊びならまあ、放置ですが。

司令官タイプとボヘミアンタイプを比べると、あきらかに司令官タイプがあしざまにかかれている気がするんだけど。


なにやら字の形の「いい・わるい」の価値判断をしているようです。
また字の形から、人格の「いい・わるい」まで決めつけています。


実際にいじってみるとわかりますが。

まず、これが「いい字」

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すごくバランスの取れた良い筆跡だよ!
特に大切なのは、末広がりのどっしりとした「かまえ」。
ここがしっかり安定していると、どんな大変な時も立て直しがきくんだ。
文字は気分によって変わるから、ときどき自分の文字をチェックしてみてね。



・つなぎ目が開く
・かまえの下部が広い
・カドが丸い
・玉の横線が等間隔

を選ぶとこの結果です。


で、「わるい字」はこんなこといわれる、

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まずは「かまえ」の下部を外側に広げて安定した土台をつくってみよう。
つまづきがちな人生が安定してくるはずだよ。
接筆を離してオープンマインドな性格に変身できればなおよし!
これであなたの才能も100%引き出されるはず。


・つなぎ目が閉じる
・かまえの下部が狭い
・カドが角ばってる
・玉部の横線がふぞろい

だとこういう結果になります。
「つまづきがちな人生」て。ひどくないか?
字の形でこんなこといわれちゃうなんて。

ちなみにこんなのもあります。

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成功運の筆跡に近づけるには、まず「かまえ」の2本の足を安定させること。
人生にも安定感が出てきて、将来に希望が持てるようになるよ。
接筆をつけるか開けるかどっちかにきめることも大事。
決断力がついて人生が前に進んでいくはず!



筆跡診断は統計に基づく心理学です。
ってかいてあるなら「成功運」とかどうしてかけるんだろう。
心理学が成功運の研究なんかしてるわけないでしょうが。

もっともらしく書きたいのだろうけど。
いくらなんでもわきがあますぎる。
こんなんで人をほいほいのせられるとおもっているのだろうか。
それとも、本気なの?
ほんきで、「成功運に近づける」ための「統計に基づく心理学」と思ってるの?

んー。
なんか。
筆跡診断については、

「よい字・わるい字」とそれにもとづく「よい人格・わるい人格」みたいな
へんな価値判断をしないで、無害に楽しめるものだったらね。
あたりさわりのないことしかかいてなければね。

もうすこし批判するのも難しいと思うけど。
これはあきらかに有害。

相性診断はさらにひどい。
根拠なく字の形から人間関係のよしあしをきめつけないでほしい。
これ、自分一人でたのしむだけじゃなくて、他者を巻き込むからひどい。
これをもとに人事採用とかやられたらたまったもんじゃないですよ。


筆跡診断ってこれでいいんですか?
やるにしたって、もうちょっと無害なものにはできないんですか?

まあ、私にとっては、ここまではっきりとうさんくさいとかえってありがたいくらいですが。
「あ、字で人柄を判断できるかも、なんてちょっと変だなあ」
っておもってくれる人もいるかもしれないので。

posted by なかのまき at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ニセ科学;筆跡学