2011年01月11日

ひだりききを「きょうせい」しないことに理由はいらない(はずかしいくらいにあたりまえ)

あたりまえのことですが、カンチガイしてる人がいるので確認します。

利き手矯正の是非について。

まず、利き手で字をかくことに理由はいりません。
たとえば、ひだりききの人が「左手で字が書きにくいなら右手でかけないの?」
という質問(というか恐喝)をうけたときは「え、なんで?」でいいんです。
なぜなら、質問の内容が意味不明だからです。
なにも前提がなければ、「利き手じゃない方で字をかけ」といわれる意味がわからないわけで。
まあ、「字は右手で書くようにつくられてるんだから」というあちらの言い分も想像できますが、それをやさしく察してあげる必要はありませんし、それはこちらの責任ではありません。
むしろ、他人に、「利き手じゃない方で字をかけ」という人間が、他人の生き方にわけのわからん口出しをしてくる人間のがわが、

「なぜおまえは利き手じゃない方の手で字をかかなければならないのか」

ということについて、きちんと説明する責任があります。

前回紹介した、

小林比出代(こばやし・ひでよ)2005「左利き者の望ましい硬筆筆記具の持ち方に関する文献的考察―書写教育の見地から」『書写書道宇教育研究』20 pp.30-40

は、そこをはきちがえているんです。

「左手利きを矯正してはいけない理由」が資料をもとに述べられているのですが、そもそも、「左手利きが利き手で字をかく理由」はいらないわけなんです。
それをかんがえると、「左手利きを矯正してはいけない理由」は、さらに意味不明の設問です。

きほんてきに、「利き手の矯正の是非」とは、

「左手利きを矯正していい理由はあるかどうか」

という一点だけです。
左手利きを矯正していい理由がきちんと説明できないかぎり、それ以上の議論は不要で、「非」です。

「左手利きを矯正してはいけない」を証明する必要はまったくありません。


きびしく問われるべきは、「矯正をする理由」です。
そこをはきちがえている。

もし、ひだりてききのこどもを矯正をするべきかどうか、迷っているひとがいたとしたら、
いちばん基本的なことを、思い出して下さい。


ひだりてききもみぎてききも、利き手で字をかくことに理由はいりません。

他人の利き手を変更しなければならないと考えるのであれば、他人を納得させるための理由を説明する責任があります。

もし、矯正をすることを選択するのであれば、
その理由をきちんとかんがえて、自分も相手も納得できるように、いつでも説明できるようにしてから、ふみきりましょう。
posted by なかのまき at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと