2010年02月17日

宿題

1月13日の記事の記事でもらったコメントの宿題の答え。
です。



いっぱん:
毛筆=芸術
硬筆=実用
がっこー:
毛筆=実用

の根拠づけのねじれ、おもしろいです。
これは、あとから理屈をくっつけたたためにおきたねじれなんじゃないでしょうか。
つまり、学校に書道がまぎれこんだ
→それで飯をくう人間たちがあとづけの理屈が必要になったのででっちあげた。

いったん、まぎれこむと、教育学部の養成課程が強力な利益団体になるので、そこであれこれ言説がでっちあげられることになります。ほかの教科同様に。

どういう経緯で習字がまぎれこんだのか、しらべてくれませんか?戦後の教育課程審議会?みたいなものですこしは議論されているはずですが。どさくさまぎれの気がする。



こちらのコメントです。
っても、私は一次資料にあたってなくて、
論文の紹介ですが。


論文を2本紹介します。


明治大正期〜戦前の書道教育について
樋口咲子(1998)「教授理念の授業への関わり方に関する考察 「書キ方」期から芸能科習字への変遷を追って」『書写書道教育研究』12 pp.1-9

戦後
加瀬琴已(2002)「戦後の教育課程における毛筆の位置付け」『書写書道教育研究』16 pp.11-21

どちらも『書写書道教育研究』という雑誌にのった論文です。
この雑誌はいいですね。
あんまり、図書館にないことがおおいので、私は全巻欲しいなあ。

まあ、たまに、疑似科学全開なタイトルの論文もありますけど。
塩田由香・田中由希子・押木秀樹(1998)「書写指導の目標論的観点から見た筆跡と性格の関係について」『書写書道教育研究』12 pp.40-47

筆跡と性格の関係についてって……
筆跡学(クラフォロジィ)は疑似科学なんですよね、ウィキペディアさん。

あ、ちなみに、この疑似科学臭がプンプンする論文タイトルですが、結論はものすごーく、まっとうです。

現時点において、字形特徴と本人の性格についてその関係を明確に立証できていない。ということは、性格とは関係ないにも関わらず、字が与える印象によって、第三者は本人の性格を間違ってもしくはゆがめて理解してしまう危険性を持つことになる。本人の情報を多面的にとらえることの出来る場面は、大きな問題にはならないであろう。しかし、各種試験等の履歴書など提出書類の場合などは、少なからぬ影響を与えることも考えられる。(47p)


ほら。まともでしょう。
「大きな問題にはならないであろう」のところ以外。
どんな場面であろうと、文字面を人格と結びつけたら、大問題ですよ。
で、結論です。


結論として、書字指導では、よい印象を与える方向での指導ということも必要であろう。ただし、それが学校教育の国語科書写指導の目標として適切なものかどうかという点は、別の視点から考察する必要がある。(47p)


……あ、前言撤回。やっぱりぜんぜんマトモじゃないわ。
「ただし、それが学校教育の国語科書写指導の目標として適切なものかどうかという点は、別の視点から考察する必要がある。」とかいいわけしつつも、「結論として、書字指導では、よい印象を与える方向での指導ということも必要であろう。」なんだ。この結論。
こどもに、「えらい人から気にいられるような字をかきましょう」って、奴隷根性を押しつけちゃだめでしょう。
これは、だめでしょう。

あ。疑似科学論文に気を取られました。
えっと、話をもどして。

樋口論文と加瀬論文はそれぞれとても面白いので、また個別に紹介します。

あと、
備忘
今後書きたいネタ

・とめはね7巻について
 「漢字仮名交じりの書」は、読める字(=実用)ですよ?


・疑似科学
 ・筆跡学を拾って来ちゃだめって何回も言ったでしょ!捨ててきなさい!
  (――以前何人かの心理学者がこの種の実験(=筆跡分析)の実験を行ったところ、概して筆跡学者の成績はよくなかった。筆跡分析家がこの種のテストでいつも高い成績をあげられるようになるまでは、彼の仕事は正統心理学の周辺をうろうろするしかないだろう――マーティン・ガードナー著/市場泰男訳『奇妙な倫理2 なぜニセ科学に惹かれるのか』早川書房2003 p.227)


 ・右脳とか左脳とかやめてほしい。
(左利きが芸術脳とかいって、私は言語には弱いってことですか?あなた、いったい私がその言葉で傷付かないと思ってるんですか?)

 ・にわか勉強しておもったこと。血液型性格診断はいやだなあ。
(まあ、私は自分の血液型しらないから対岸の火事なんですけど)



 
posted by なかのまき at 22:56| Comment(0) | ニセ科学;筆跡学
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