2010年04月14日

自問自答:手で字を書く権利をふりかざしてどうしたいのか

なんか、科研費が決まったんですよ。
で、誓約書っぽい書類に自筆でサインして提出しろ、っていわれたよ。
私はこういうことを要求されるたびに、
「左手で字がかきにくいならパソコンでかけばいーじゃない」「左手で字が書きにくいなら右手で書けないの」っていわれたときの悔しさを思い出すようにしてます。
それはもう、意図的に。



2010年01月27日
365〜366日字を手でかかない生活


のなかでじぶんがかいた

ただ、だから、
「手書きの字を書かないで生きることは不可能である! 左手利きにも手で字をかく権利がある。左手書字を認めろ」
っていうのは、どうなんだろう、それって。
じっさいに、身体や、心の都合で、手で字をかけない人だっている。
そうかんがえると、「手で字をかく権利」なんて、贅沢なねがいなのでしょうか。
「手でかけないと不便なんだ!」ていって、不便を根拠に「左利きだって手で字をかく権利がある」とかいっちゃいけないんじゃないだろうか。
そもそも、不便をなくすことをかんがえなきゃいけないんじゃないか。


に、じぶんで答える。

私は、そうは言っても、ペンを持てる。
汚いけど、読める字をかける。
そんな私が「私にも手書きの字を書く権利を!」とさけんだところで。
いったいそれになんか意味があるのか。
そんなことを考えて。

なんか、整理がついたので。

私が腹がたつのは、
「左手で字がかきにくいならパソコンでかけばいいじゃない」
っていわれるとき。
そのとき、私は、いったいなにに、はらをたてているのか。
左手で手書きの字が書きたいのか。
そうじゃなくて。

というか。

書写をおしつけて、毛筆書道をおしつけて、漢字の書き取りの宿題をおしつけて、ノートを手書きでとらせて、試験を手書きでうけさせて、誓約書を手書きで書かせて、履歴書を手書きでかかせて、そういうふうに。

手で字をかかなければいけないところに私を追い込んで飼い慣らして、あげくに「書きにくい」ってちょっと文句を言えば「パソコンでかけば」ってあっさりはしごをはずす。
「右手で書けないの?」なんて最悪。


手で字をかかなければいけない場所に、私を連れて行ったのはだれ?
私はそれをしたいと、えらんだ訳じゃない。
小学校に入学したとき、もう、私はそのなかに囲い込まれていた。
手で字をかくことが当たり前の世の中にほうりこまれて、それなのに「手書きで字を書く権利なんか贅沢なことだから言わない方が」なんて私が悩むなんて、それはちょっとお門違いなんです。
私がそんなことをかんがえちゃいけない。

「じゃあ、なに?この社会は手書きの字をかかないとこんなに不便になってるのに、私は左手で手書きの字をかいちゃいけないの!」
って、それは言っていいでしょう。
そしてそれは、「手書きの文字を書かなくてもいい権利を!」という人のいうことの、邪魔にはならない。

手書きの字が書けないとなにか大切なものを侵害されているような錯覚におちいる、
私をこんな身体にした、責任はだれにあるの。


posted by なかのまき at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと
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