2010年05月08日

「努力」とは「一しょうけんめいがんばる」ことではない

書道教育の人に
「左手で字をかいてる生徒も右手で字をかいてる生徒も成績をつけるときは”平等”に評価しているのか。
字はそもそも右手で書くのだけに都合のいいつくりになっているのだから、左手でかくときはうまく整えるのはむずかしい。
それなのに”平等”に評価するのは、それは左手で字をかく生徒が不利になる、ひどい不平等ではないか」

みたいなことをいったら、「うるさいなあ」みたいな顔をされ、
「私は生徒がどれだけ努力したかも、評価に考慮するよ」
っていわれた。
つまり、「不平等はやってない!」っていいたいらしいんだけど。
これ、言い訳になってますかね。
なってないよね。

「努力」って、なに?
ってことをかんがえると。

とりあえず、辞書的なものを。

ど−りょく【努力】
 目標実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。「休まず−する」「−家」
(広辞苑)


うん。なんとなく、努力って、いっしょうけんめいがんばること。
みたいなイメージがあります。

「左手で字をかいてる生徒も、書道の時間に絶望してはいけません。
いっしょうけんめいがんばれば、きみは報われるんだよ!」

みたいな。
書道教育の人につごうのいいたわごとを。
書道教育の人のうしろめたさを忘れさせるための魔法の言葉。
「どりょく」

いったい「努力」をはかるものさしはなに?
ってことになると、それは、先生がだれかに
「努力の基準はなに、どういう状態のとき、生徒は努力していると評価されて、成績にプラスされるの?」
ってきかれて、そんときに破綻しない返事は、
「その生徒がどれだけ上達したか」になるわけでしょう。
つまり、上達に関係しない「いっしょうけんめいがんばること」を「努力」とはいわない。

で、けっこう先生が思い間違ってるのは「がんばれば上達する」って単純に考えすぎてるせいで、ぎゃくに、
「上達してないからこいつはさぼったな」
って。
そういう本末転倒をやりやすい。

私も左手でいっしょうけんめいかいた字を先生にみせたら、鼻先で笑われて。
「ぷっ。ほんとうに真面目にかいたの?」
って。
いくらいっしょうけんめいかいたって、左手でかけば上達とはつながらないんです。
いや、ぜんぜん上達しないわけではないですよ。でもね、右手で同じ時間練習した人とくらべると、それはね。舗装された道とぬかるみ道にそれぞれ立たされて競走させられてるようなもんでしょう。
劣りますよ。
同じ時間かいた、右手で字を書いた人ほどは上達しないわけで。
そのとき、「いっしょうけんめいかく」は努力とはみなされないわけです。

それどころか、私が左手で字をかいていることにきづかなかったり、左手は右手より字がかきにくいことに気付かなかったりする先生には、「こいつさぼってたな」
っておもわれるんです。

「ぷっ。ほんとうにまじめにかいたの?」
ですよ。
もう、いっしょう恨み続けるから。

つまり。

「左手で字をかいてる生徒も、書道の時間に絶望してはいけません。
いっしょうけんめい努力すれば、きみは報われるんだよ!」

これは、ウソです。
ウソっていうか。
詐欺です。

このとき、「努力」の本質は「いっしょうけんめいがんばること」ではない。「上達すること」なんです。
上達のために「こうすればいいよ」っていう適切な助言や、「こうすればいいのか」っていう自身の気づきが必要なわけで。
それをもたない「いっしょうけんめい」を「努力」とはみとめないわけで。
そうなると、

「左手で字をかいてる生徒も、書道の時間に絶望してはいけません。
いっしょうけんめい努力すれば、きみは報われるんだよ!」

は、破綻してます。
適切に「こうすればいいよ」って、書道の先生は言ってないんだから。言えるものなら言ってみるといいよ。

だから、「努力」なんていうきらきらした、魔法のことばにだまされてはいけないね。
書道のひとが左手で字をかくひとに「努力」を求めるなら、ちゃんと、上達のための方法をかんがえてね。あの筆順をどうにかしてね。
それまで、私は字がうまくなるためのひとかけらの努力もしないまま、「書道の人はずるい! 右手で字をかくひとはずるい!」って言い続けます。
posted by なかのまき at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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