2010年06月03日

ごんぎつねのなにが悲しいのかわからなかった

私は、小学校低学年・中学年あたりはわけのわからん子どもだったとは、じぶんでも思います。

なんか、ランドセルを家に忘れたりしてたんですよね。
気付かずに学校にいってたり。
あとは、夏休みの「どくしょかんそーぶん」で。
学研あたりででてる、こどもむけの「小動物の飼い方」みたいな指南書で感想文かいたり。
「亀には、水生のかめと、陸生のかめがいます。りくせいのかめは水槽に水を入れなくても飼えます。水生のかめは水槽に水を入れます。だけど、水のない場所もつくってやらないといけません」
で、先生に
「次からはちゃんとした本を読んで感想文書いてね」
っていわれたり。
あとは、「挨拶をしたらきもちがいいから挨拶をしましょう」
とかいわれても、「いや、私はとくに気持ちよくならないからいいや」とか。で、通知票に「あいさつをしましょう」ってかかれたり。

どうも、先生がいうことをそのまんまの意味でとって、言外の「言わないでも空気で分かれよ」っていうような、そのへんのことを読むのがぜんぜんできないこどもだったみたいです。
「『小動物の飼い方』という本で読書感想文を書いてはいけません」
とか、ちゃんといってくれないとわからないのね。

まあ。そういうこどもだったことをふまえて。

「ごんぎつね」っていう国語の教科書にのってる話の、どこが感動ポイントだかよくわかんなかったんですね。
で、「ごんぎつね」を読み終わった後で、担任の先生が「ごんぎつねを毎年みんなと読むたびになきそうになっちゃうんです」とかいわれても、ぽかーんとしてました。

うろおぼえであらすじかきます。

ごんが兵中という男のウナギを盗んで、あとで盗んだウナギが病気の母のためだと知る。兵中の母死ぬ。ごんが罪悪感にかられてクリなどを兵中にとどける。
あるひ、クリなどをとどけてたごんが兵中に見つかって撃ち殺される。兵中後悔。おわり。

なんか、ぜんたいてきに、話そのものがわかんないんですよ。
なんで、ウナギぬすんだくらいで兵中の母の死にまでごん狐が負い目を感じるのかわかんないし。
それで、ウナギをぬすんだつぐないにクリなどを兵中にとどけるのも意味わかんなかったんですね。
「いや、兵中の母は死んでるんだから、いまさら食べ物とどけてどうなるんだろう。償いにもなってないんじゃないかなあ。なんかごんのやってることの意味がわかんない」
って。空気の読めないこどもだった私は疑問で。
ひたすらわけのわかんない話だったんですよ。
ごんぎつね。

はい。で。
ここまでかいたところで
ウィキペディアであらすじ確認。

ごんぎつね

おお。鰯のくだりを忘れてたのと、男の名前をまちがえてた(×兵中)いがいは、わりとちゃんとおぼえてる。

というわけで、論文をひとつ、紹介します。

有元秀文ありもと・ひでふみ(2009)「PISAと全国学力調査の結果から考える国語教育の改善―国際的な読解力を育てるブッククラブの提案」(指導と評価、2009-10月号)pp.9-12


1.読解力は低下したのか
(略)多くの人が忘れていることは、PISA調査は悉皆(しっかい)調査ではなく抽出調査だということである。百万人の高校一年生から5千人を抽出して行った調査結果は、統計的な推論であって百万人の学力そのものではない。八位が十四位に低下したから百万人の読解力が大幅に低下したとも低下しないとも断言できない。(p.9)


えーと。悉皆調査ではなく抽出調査だから、百万人の学力そのものではない。って。

あーそーですか。
国立教育政策研究所総括研究官であるところの有元氏が統計学をここまで軽視してるってのは、ちょっとうすらさむい気分になりますが。

いや、これは抽出調査にいちゃもんをつけてるわけではなく、PISAが日本の高校生の順位を下げたことに、はらをたててるだけなんでしょうけど。
きっとね、PISAで八位から十四位じゃなく、八位から一位になったとしたら、「悉皆調査云々」いわないとおもうんですよね……
もし、八位から一位になったとしたら、
「悉皆調査ではなく抽出調査だから、百万人の学力そのものではない」みたいな文はかかなかったでしょーね。

あと、悉皆調査って、なにかっていうと(過去の)全国学力調査のことですね。よーするに、
「PISAがなんぼのもんじゃい! 悉皆調査の全国学力調査のほうが正確だろ! 日本人なら全国学力調査!」っていいたいのかな。
という。

いや、そういう論文ではないんですけどね。

2.読解力低下の真相
私は、読解力は低下したかもしれないが、断言できないと思っている。断言できることは、日本人のPISA読解力調査の得点は、「もともと国際的に低い」ということだ。(p.9)


で。「もともと国際的に低い」と断言出来るだけの根拠は


2000年調査の時点でも日本の読解力はトップではけっしてなく、無答率が極端に高いという問題をかかえていた。2003年にはその欠点が顕在化し、その後改善の徴候がないというのが事実である。(p.9)


ということだそうです。
ふーん。

ではなぜ、国内のテストの得点に大きな変化がないのに、PISAの得点だけが低いのだろうか。それはPISAが求めているような読解力を国語教育が育ててこなかったからである。(p.10)


うん。これはそうなんですよね。国内のテストと、PISAは物差しのめもりが違うんですよね。

では、なぜPISAに対応出来る国語の授業をしなければならないのか。もちろんPISAの得点を上げるためだけではない。
 もし日本の国語教育が完全無欠なら、世界中の国語教育を日本型に変えればよい。しかし、日本型には明らかな欠陥がある。日本の国語教育は、曖昧で論理性を欠いた日本人のコミュニケーションを背景にしていて、日本の国語教育を完全にこなしても国際社会でのコミュニケーションはできないからだ。(p.11)


「曖昧で論理性を欠いた日本人のコミュニケーション」て。
自分のことを日本人全体に一般化しないでほし……なんでもありません。

では、ほとんどの日本人は外国人と交流する機会はないのに、外国人と交流するためにPISA型読解力を育てる必要があるのか。
 PISAに対応しなければならない最大の理由は、外国人と交流するためでなく、課題解決のコミュニケーションを 身につけるためである。(p.11)


強調は筆者本人によるものです。
いや、論文の本筋とは関係ないけど、「ほとんどの日本人は外国人と交流する機会はない」とは。それは。私の知ってる日本人ではないなあ。

 文章を批判的に読んで自分の意見を表現し、相互批判しながら合意形成を目指す課題解決のコミュニケーションは、この日本のあらゆる教科の学習でも、社会生活でも重要な「生きる力」である。(p.11)


はい、なんでこの論文をとりあげたのかというと、
PISAからこっち、「クリティカル・リーディング」「クリティカル・シンキング」みたいなことが、国語教育のなかで流行ってるっぽいのだけど。
どーやってあの国語の教室で、「クリティカル」ってのを処理してるのか、すごい好奇心があって。
まえまえから観察してたんですけど。
だいじょうぶなの?「クリティカル」なんて言っちゃって。
って、おせっかいにも心配してたんですけど。
で、ここでいきなり「ごんぎつね」がでてきます

 例えば「ごんぎつね」で、「ごんは兵十にどうやっておわびをすればよかったのでしょうか」という発問を出すと、子どもたちは「お手紙を添えて栗を置いてきたらよかった」などさまざまに自由な意見を出して、授業は盛り上がる。
 この問い自体はクリティカル・リーディングの問いとして間違っていない。しかし、教材は十分理解できていない子どもが自由に意見を言い出すと、とんでもないいい加減な意見が出てくる。
 クリティカル・リーディングをするためには、正確な教材理解と教材解釈が不可欠である。(p.11)


7.国際的な読解力を育てるブッククラブ
(略)
アメリカで1990年以降、このような読解力を育てるために盛んに行われている授業は「ブッククラブ」である。これは多読とディスカッションを組み合わせて国際的な読解力を育てる指導法である。
 さまざまなやり方があるが、ここでは私が子どもたちに実践して効果的と思われる方法の一例を「ごんぎつね」を例にして骨格のみ示す(略)
【クリティカル・リーディング】
 登場人物の行動や作者の表現を評価・批判させる。
 たとえば、「ごんのおわびのやり方はこれでよかったか」や「物語の終わり方はこれでよいか」を尋ねる。(p.12)



「ごんのおわびのやり方はこれでよかったか」クリティカル・リーディングの時間がみごとに、道徳の時間になってますね。

べつに、クリティカル・リーディングを「ごんぎつね」でやらなくてもいい気がするんですが。いや、やっていけないこともないけど。
 というか、クリティカル・リーディングひとつやるのにも、「ごんぎつね」からはなれられないんですかね。
どんだけ国語教育の人は「ごんぎつね」が好きなんだ。
私にとってはあんなにわけのわかんない物語だったのに。


というわけで、私もごんぎつねで「クリティカル・リーディング」

「ごん」って、兵十と直接しゃべってないような記憶があるんですよ。
で、おわびも言葉でなく物品でしょう。
ごんって、「人間の言葉はわかるけど、人間の言葉がしゃべれない」っていう設定な気がするんですよ。

このとき、ごんは「擬人化された動物」なのか、「擬獣化された人間」なのか。
というのが、私には気になるんです。
ようするに、「なんでごんは狐なのに人のことばがわかるんですかー」ってことなんです。


もし、「擬人化された動物」なんだったら、「狐でありながら中途半端に擬人化されて、兵十と会話はできないけど、兵十の言葉はわかる」っていう存在ですね。
「ストーリーをうまくすすませるためのご都合主義の設定だとおもいました。ごんは人間のことばを理解できるのに話せないというのがヘンだとおもいました」

「擬獣化された人間」ってことなら、「言葉を発しない鉄砲をもたない存在が、言葉を発して鉄砲をもつ人間にうちころされるというストーリーは、いくら狐になぞらえてあとあじの悪さをうちけしてあるとはいっても、『なんてかわいそうなごん』みたいなお涙ちょうだい話として無邪気に消費されていていいのかと、ぎもんにおもいます」

……あ、おもったよりいい教材なのかも。
posted by なかのまき at 22:48| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
もうすこしがんばりましょう。
Posted by at 2012年07月04日 18:57
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