2010年06月07日

書道への愛

旧仮名遣いと旧漢字を愛好してる人が、私の教室の学生さんにもいて、毎回私はコメントペーパーで叩かれているのですが。
なんだろ。

でねー。
(まあ、旧仮名遣いと旧漢字がじっさいにはべつにでんとーでもなんでもないことは、おいておいて)
「伝統」っていうなら、旧仮名遣いと旧漢字いがいに、変体仮名は復活しなくていいのー?
ってなことを授業中にいってみたら、

「変体仮名は横書きできないという最大の欠点がある」
とかコメントをくれました。
ははあ。
横書きできないから復活させなくていいのかー。
すごいなあ。こんな発想、ほんと、私はできません。
そーかー。ここで横書きがでてくるとは。
うへー。すーごーいーなー。
自由奔放。縦横無尽。

「でんとー」とかいいながら旧仮名遣い・旧漢字を大切にして変体仮名を無視している、そのダブルスタンダードを自分の中で合理化するために。
「横書きしなきゃだめだから〜」
もー、最初に結論ありき。こーゆー人は、無敵ですね。
こっちがどんなに丁寧に反論したって、また違うものを引っ張り出してきて「最大の欠点!」とか言っちゃうんでしょう。
むちゃくちゃだ。

せんせーというゲタをはいているものにしてみれば、なやましいですねえ。
「じゃあ横書きが変体仮名を消した理由だってことをおまえ証明してみろ!」
とか言い捨てるわけにはいきませんものねえ。
「はーい、そっちいかないでねー、はい、じゃあせんせーがやってみるから一緒にみててねー。おーきくなったらきらいな人にも、おもいつきでものをいわないでもちゃんと反論できるよーになろーねー」
と、しつけをしてあげなければいけないんだろーか。
まあね。
「変体仮名は横書きがダメだからダメなんだ」みたいな、私が思い付くことすらできないすごい発言が出てくるんだから。
これは、けっこう大きな報酬なので。いやあ。勉強になりますね。


いや、上のトンチキ発言と同列にならべるのは申し訳ありませんが。


5月4日にブログでもらったコメントに反応します。



>現代の日本でわ漢字を行書や草書で書く事わ書道家でも無い限りほとんど無く、学校でも楷書しか教えませんね。


えっと、私は書道教育批判をするとき、ベースとして「学習指導要領」を考えています。

文部科学省のサイトから

中学校学習指導要領の国語


第1学年
(3) 書写に関する次の事項について指導する。
ア 字形を整え,文字の大きさ,配列・配置に気を付けて書くこと。
イ 漢字の楷(かい)書とそれに調和した仮名に注意して書き,漢字の行書の基礎的な書き方を理解して書くこと。

第2学年及び3学年

(3) 書写に関する次の事項について指導する。
ア 字形,文字の大きさ,配列・配置などに配慮し,目的や必要に応じて調和よく書くこと。
イ 漢字の楷書や行書とそれらに調和した仮名の書き方を理解して書くとともに,読みやすく速く書くこと。


強調は引用者です。
学習指導要領によると。
中学生の書道の時間に行書をおしえることになっています。
というわけで。
書道教育批判するなら。
そう。楷書のことだけじゃなく、行書のことも考えなくては。だめですねえ。
はあ。

ちょっと、書道教育の先生。
なんで中学生に行書を教えろって書いてあるのに教えてないんですか!
というか、教えてないんだったら、なんで学習指導要領に「教えろ」って書かせっぱなしなんですか。

なんか、これをみるにつけ。世間の人にとって、書道ってほんとーにどーでもいい教科と思われてるんだな。
行書のところなんて、あきらかにおかしいことになってるのに、批判さえおきてない。ぜんぜん興味を持たれてないんですね。


そんな書道教育に、やさしい応援を贈ってくれている論文を紹介します。

山田敏弘(2010)「現代型書写教育について」『岐阜大学国語国文学』36、pp.1-11

ひとりの小学4年生児童の親としてこの件を考えても、毎週の書道の時間がはたしてどのように有効に子どもに対し作用しているのかについて、疑問を抱かないではいられない。時間数だけが多い(毛筆)書写の時間は、現状では残念ながら、有意義な教育の時間とはなっていないというのが実感なのである。(p.1)


山田氏は日本語学の研究者ですね。その立場から、書道教育について書かれている論文です。

小学校3学年で国語の授業時間数は235時間と、他教科より飛び抜けて多い。この学年での算数は150時間、理科や社会は70時間である。書写が毛筆だけで30時間ということは。他の用具による書写も含めれば、単純な時間的バランスについても議論のあるところでもあるが、その時間数に見合った教育成果という点でも、残念ながら、書写が十分な成果を上げているとの実感をもっている児童生徒ならびに保護者は少ない。字の上手な人は上手であり、下手な者は下手なまま。めざましい上達はあり得ない。ましてや、それが毛筆という非日常的な用具による時間であれば、なおさら、成長につながるという実感がないのである。(pp.7)


あー、引用箇所の前半部分なんか、私が書きたかったのにー。

いまの書道のやりかたなんか、ただてがきコンプレックスを押しつけてるだけ、毛筆書道ぎらいのこどもを大勢つくってるだけなんじゃないか。

こんなに(専門外の人による)書道教育への愛がこもっている論文って、ほんと、ないですよ。
この論文の内容と、私が書きたかったことと、すごくかぶるんですが、私がこの論文にぜんぜん共感できないのは、この論文に、書道教育への、愛がたっぷりつまっているからです。


posted by なかのまき at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 書道教育
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