2010年08月03日

言語学ってなに?

竹鼻圭子『しなやかな組織としてのことば』(英宝社・2009)
から引用します。

4章 文字と記号表象

1 視覚的表象としての文字とことば

1.視覚記号と音声記号

 フランス象徴派の詩人が,西欧の文字が象徴的意味をもたないということを指して「西欧言語の致命的欠陥」と指摘して一世紀になる.直感的には大方の賛同する言説であると思われる.(p.183)


こんなふうに始まります。
フランス象徴派の詩人が西欧の文字が象徴的意味を持たないということを指して「西欧言語の致命的欠陥」と指摘したことは、まあ(どうでも)いいですけど。もんだいは、「直感的には大方の賛同する言説であると思われる」っていうところが。
まず、私は賛同しないですね。

「大方の賛同」って、たぶん、印欧言語をしゃべってるひとの多くは「致命的欠陥」って思ってないとおもうし。
日本に多く漢字不可欠論者がいることをかんがえると、日本に限定すれば、まだわからないでもないけど。
それにしたって「致命的欠陥」って、だいぶ強いことばなので。西欧言語に致命的欠陥があるっていう説にそんなにほいほい賛同できるひとって、そんなにいないとおもうんだけど、そうでもないのかな。
大方は、西欧言語に致命的欠陥があるとはいわないとおもうけど。直感的には。

で、「直感的には大方の賛同する言説であると思われる」のところですが、直感は直感でいいんですけど、
それに関しては言語学の研究が積み重ねられてるわけで。
わざわざ直感なんていう危険なものにたよらないで、先行文献を読めばいいだけなのでは。
と私は読んで思ったけど、続きはこうでした。

しかし,現代の言語学はこのことについて説明してこなかった.統語論や意味論がもっぱらの関心事であったから,いたしかたのないことではある.

え?
現代の言語学で研究されてないの?

象徴的意味をもつ文字ってのは、
漢字のことでしょうが。

漢字については
DeFrancis,J.とかJ.Marshall Ungerとかの著書があるはずですが、これは言語学じゃないのかな。
それとも、私のしらないべつの言語学っていうのがあるのかしら。そうかもしれないな。統語論とか意味論だけをやってる集団のことを指して狭義の言語学とかいうのかな。いや。まさか。
でも、なんか私のしってる言語学とはべつの言語学を指してるような気もします。わからない。
ひきつづき引用します。


視覚記号が音声言語を表象することに特化されたものが文字である。この特色はSchmandt(1997)で詳しく考察されているように、西欧の文字に著しい。一方で,東洋の漢字文化圏にあっては,一応の音声との対応があるとは言え,実質上,文字が音声を経ずに直接象徴的意味を伝達することがしばしばである.このことは万葉仮名,墨蹟などの例に明らかであるが,この点を明示的に示すことが本稿の第一の目的である。


「一方で,東洋の漢字文化圏にあっては,一応の音声との対応があるとは言え,実質上,文字が音声を経ずに直接象徴的意味を伝達することがしばしばである.」
これは、漢字についての(私の知ってる)言語学の先行研究の結果とあいいれない主張ですね。
あと、万葉仮名と墨跡のあたりをよんだのですが、なぜ万葉仮名と墨跡をとりたててとりあつかうことが必要だったのかちょっとよくわからなかったです。あと、墨蹟ってなんですか。

まあ、ともあれ。
「西欧の文字が象徴的意味をもたないということが「西欧言語の致命的欠陥」であるとしたフランス象徴派の詩人の指摘には、現代の言語学の文字研究の成果から判断する限り、わたしは賛同しません。
posted by なかのまき at 01:22| Comment(3) | TrackBack(0) | 文字のこと
この記事へのコメント
http://edge830.center.wakayama-u.ac.jp/teacher/common_disp.php?fid=344

テーマ
視覚的表象としての文字とことば
内容
視覚記号が音声言語を表象することに特化されたものが文字である。この特色は西欧の文字に著しい。一方で、東洋の漢字文化圏にあっては、一応の音声との対応はあるとは言え、実質上、文字が音声を経ずに直接象徴的意味を伝達することがしばしばである。このことは万葉仮名、墨蹟等の例に明らかであるが、この点を明示的に示すことが本稿の第一の目的である。このことはまた、言語処理が音声表象を経ずに直接視覚表象によって処理されることがあることを示唆している。つまり、ことばの意味解析がこれまでの音声を基本表象とする単純なモデルではなく、音声的表象や視覚的表象が複雑に絡む多層的モデルでこそ表し得るものであることに帰結する。

http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200901055321744963
http://www.wakayama-u.ac.jp/kikaku/avenir/latest/pdf/short-stay.pdf

観光学部に転職して英語教育担当者となった経緯で、英語教育論やスローツーリズムをてがけるようになられたようで、周囲の影響をうけやすいかたのようですね。突然、もじナショナリストになられたもの、なにか特別なであいがあったのかも。
 既存文献の網羅的確認をおこたった論考が、博士論文にさえ横行する昨今(自戒をこめてですが)。専攻から 縁どおい領域で言語論を展開しだすと、かならず俗流イデオロギーにおちいるようです。
Posted by ましこ at 2010年12月02日 20:49
ましこさん

紹介ありがとうございます。
和歌山大の研究者紹介のページにまでコピペしてるということは、この個所が現在のメインの研究テーマということなのかな。

うーん。

しかし問題なのは、これはかなりわかりやすい例だけど、言語学や日本語学のなかで極端に例外的な意見というわけではない、というイメージが、私の個人的な経験からでてきて。
組織ぐるみの怠慢だよな。
と、それがそらおそろしいですね。

日本語学の人にしても、DeFrancis,J.とかJ.Marshall Ungerをよんでなくても、河野六郎を読んでいれば「漢字は表音文字」なんていわないとおもうのですが。
いや、もちろん読んではいるのでしょうが……

Posted by なかのまき at 2010年12月02日 23:23

「漢字は表意文字」
のまちがいです。
Posted by なかのまき at 2010年12月03日 22:47
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