2010年08月31日

筆跡学はニセ科学でいいのか

筆跡学・筆跡診断は、私はニセ科学でよいとおもうんだけど、

「ニセ科学」ってことばや筆跡学・筆跡診断のことをよく知らないと、
「筆跡学はニセ科学である」

っていわれても、抵抗感あるんじゃないかな。
「えー、だって、筆跡に個性ってでるじゃない。私も体験的にそういうの、あるかな、って思ってるんだけど−。そんな、100%うそっぱちって言っちゃっていいの? そういう思い込みこそ、科学的じゃないよ!」
みたいな。

というわけでたとえ話をします。
たとえば、宇宙人はいる、といってる人にも、いろんなこという人がいるわけです。

(1)「宇宙人は存在する」
(2)「宇宙人はアメリカ政府と接触しているがアメリカ政府は隠蔽してる」
(3)「宇宙人は銀色に光っている」
(4)「宇宙人と昨日一緒に飲んだ」

で、ひとつずつ。
(1)「宇宙人は存在する」
「それは絶対ありえない」
って断言するのは難しいし、できないでしょうね。
それを「そんなことぜったいにない!」って言い張るのは、それはそれで問題でしょう。

(2)「宇宙人はアメリカ政府と接触しているがアメリカ政府は隠蔽している」
これにたいしては、
「たわごとをいうな」
って言えますね。
これに関しては、「それは絶対ありえない」でいいでしょう。

(3)「宇宙人は銀色に光ってる」
これは、「絶対にあり得ない」ではないですが。
「根拠をだせ」
で。

(4)「宇宙人と昨日一緒に飲んだ」
「それは本当に宇宙人なのか。宇宙人だという証拠をみせろ」

っていう。いろいろなレベルがあるわけです。
で、(1)に関しては私も否定しませんね。
判断できないので保留します。
(3)〜(4)を言う人にたいして、
「しんじられない」
っていいたいだけですね。
で、「信じてほしいならそれなりの証拠をみせて」
って。

筆跡学もおなじです。

わたしは、
「性格が筆跡に出る」
という可能性を、100%否定してはいません。
ただ、だいぶ低い気もするんですよね。
ちゃんとした研究で、筆跡と性格に関連あるっていう安定した結果がでてないんですね。
でもまあこれは、科学の進歩でなにか変わる可能性だってあるわけで、保留です。
べつにあってもいいですけどね。

で、私がなにを問題だとかんじてるかというと、

ちゃんと結果が出せてないのに、まるで
「心理学的に証明されてますう。真実ですう」
って顔で「ある」っていって、商売にしたりせんせえがこどもの前でいうことね。
この一点において、「ニセ科学」とよばれる資格があるとおもうんです。
筆跡学・筆跡診断。

「ある」っていいたいなら、言い出した側がちゃんと実験して結果をだしてね。
そのさいには占いをつかってる黒田(1980)とクレッチマー類型論を使ってる槇田(1982)を引用しないようにね。
筆跡学・筆跡診断のひとは黒田論文と槇田論文が大好きですからね。
でもそろそろ80年代の論文は賞味期限切れですよ。
ちゃんと責任もって結果だしてから、いってね。

で、それはべつとして。
「べつに絶対そうだってわけじゃないけどさあ。そういう傾向あるかもしれないから、私は筆跡と性格が関係ある気がするなあ」
みたいなゆるい信念をもってる人がいちばん困るんだよな。

そういうゆるーいなにかが、なんとなく、けっこう多くの人に、共有されることで。
「人柄を判断するから履歴書は手書きで」
っていうヨタをゆるしてるんですからね。


字の形で就職が左右されてたまるか。
ふざけるな。
あと、手書きで字を書きたくない人は就職するな、っていうおろかさを許すな。
そういう世の中にしてるのは、みんなの「なんとなく」のせいなんですよ。

できれば、「ぜったいにある」って強固にしんじてるわけではないんだったら。
「ふたしかなものを安易に利用しない」「さわらぬ神にたたりなし」の方向で。
私は、小学校のころに先生に「あなたは男みたいな字だから性格も男みたいにあんまり考えずにいろんなこと決めるんだろう」っていわれたことありますよ。真顔で。
なんかね、真偽がともかくとして。こういうのは、「字が男みたいな女は性格も男みたい」とか「字が汚い人は性格も汚い」とか。どうしたってそういう方向に暴走しちゃうんですよ。
字の形と人格をむすびつける筆跡学・筆跡診断には社会的な問題にしたほうがいいほど、危ない部分をもっていることをちゃんと、かんがえてください。
万が一、もし、本当に筆跡と性格に関係があるっていう、そういう結果がでてしまったら。そのほうがむしろ、「字が汚いから性格が汚い」とかそういう悪ふざけは深刻な社会問題になるでしょうね。
もしほんとうに、「関係ある」っていう結果がでたら。むしろ。素人がおもしろ半分に人の字の形にあれこれいうのは、つつしまなければいけない風潮になるでしょう。
けっこうレベルの高い個人情報ですよ。

ちゃんと考えるのだったら、安易に人格と筆跡をむすびつける言動ができるはずはないとおもうのですが。
よっぽど強固な信念をもっているわけではないかぎり。

だからね。
ああ、そうか。

「べつに絶対そうだってわけじゃないけどさあ。そういう傾向あるかもしれないから、私は筆跡と性格が関係ある気がするなあ」

って、自分は中立よりの偏らない意見のつもりで言ってるのかもしれないけど。
じつは。
「べつに信じてないけどでも……」
って、きりだしながら筆跡学・筆跡診断を一部分でも肯定的に持ち出したら、それだけで。
けっこうかなり、筆跡学・筆跡診断に寄った信念の持ち主だと。
自覚したらいかがでしょうか。

血液型性格診断が科学的根拠ないし、さらにブラハラなんて言葉ができるくらい、差別的であるとして社会問題になってるのに、
「信じてるわけじゃないけど気になるから血液型おしえて」
っていう人は。
「信じてるわけじゃない」って自分自身が信じてるだけで。
かなり血液型性格診断と仲良しさんなのとおなじでしょう。

どうかんがえたって、「信じてるわけじゃない」んだったら、そんな、誰かを不愉快にさせる可能性のあるものを、わざわざ話題にしたりはしないでしょ。
ばかばかしい。

で、信じてるんだったら他人をなっとくさせるだけの根拠をだしてから商売にしたり、先生が教室でいったりしましょう。
あと、信じてるんだったらそれこそ、(筆跡だとか血液型だとか)個人情報をだだもらしすることに問題ないんですか。
っていうこともかんがえましょう。
posted by なかのまき at 21:26| Comment(4) | TrackBack(0) | ニセ科学;筆跡学
この記事へのコメント
プロの筆跡アドバイザーです
ツイッターで知り、読ませて頂きました
なるほど、といろいろ勉強になりました
勉強不足で黒田(1980)と槇田(1982)は知りませんでした
資格をとる時にクレッチマーはテキストに載っていますが
クレッチマーは小学生の時に知っていました
筆跡の資格をとる時に協会(私は日本筆跡心理学協会です)から、勝手に人様の字を診断し、公表してはならない。もしすれば資格を取り消す。の規約にサインをしましたし
そもそも学生の頃から筆跡診断をしていた私は、その人の性格を口にしなくなりました(責任が生まれるからです)
軽はずみに口に出す人は、9割は偽者と思って差し支えないと思います
なにより、性格には良いも悪いもない、個性があるだけ。
は筆跡に限らず、アドバイザーをしている者にとっては当り前のことですから
>男みたいな字だから性格も男みたいにあんまり考えずにいろんなこと決めるんだろう
そんな簡単なものではありませんし、あなた様のブログを見れば、とても真剣に真面目に物事を考えているお方。というのは分ります
それと余談なのですが
筆跡には鑑定もありますが
この筆跡鑑定。裁判でも証拠として使われていますが
とてもあてにならない鑑定士がいくらでもいるのです
まったくの偽者の遺言書で、遺産をほとんど他人に盗られた(しかも公的に)人は少なからず実在します
プロの鑑定士ですら、読み取りづらい字の癖を
どうやったら自分の字だけでも診断できるようになるだろう。これは研究しなくてはならないテーマの一つだと考えています
長々とコメントしてすみません
とても参考になったので、熱くなってしまいました
Posted by 佐々木重幸 at 2010年09月16日 01:24
佐々木重幸さん
コメントをありがとうございました。
いろいろな情報は、とても興味ぶかくよませてもいただきました。とくに、

>筆跡の資格をとる時に協会(私は日本筆跡心理学協会です)から、勝手に人様の字を診断し、公表してはならない。もしすれば資格を取り消す。の規約にサインをしましたし

この部分などは、筆跡診断にたずさわる人が大切なことをしっかりと確認するシステムがあるということがわかって勉強になりました。

私個人の考えですが、 筆跡診断については、あるていどの公平性や客観性を要求される公教育の場や人事採用などに実用的につかうにはふむきであるので(他の用途としてのつかいみちはもちろんあるとかんがえております)、そのような目的で使うことがないのであれば、
佐々木さんのようなスタンスの方が、個人の楽しみの範囲で筆跡診断をつかうことに、おおきな問題はないかと存じます。

ただ、

>軽はずみに口に出す人は、9割は偽者と思って差し支えないと思います

これにかんして、私はその筆跡診断士が本物であるか偽物であるかを判断する理由もないので、やはりひとくくりに「筆跡診断はまずい」とおもってしまいがちです。

ここにかんしては、ぜひ、筆跡診断にたずさわる方々の間で、問題解決をはかってくださるとありがたいです。

それから、あまり関係ないのですが、私はいちおう、研究者として食ってますので、現代の科学を基礎とした学問体系とは別の独自の体系をもっている筆跡診断が、心理学の名を騙ることはすこし用心しております。(佐々木さんが心理学を騙っているということではなく、一般論です)
これはまったくべつのものですので、多くの人に混同されるようなことは、お互いにとって不利益が大きいとかんがえております。

あと、ご指摘の筆跡鑑定についても、私も気になっていました。
いろいろ事情がありそうですね。
これについても、すこしかんがえてみます。 どうもありがとうございました。

また機会がありましたら、いろいろおしえてください。
よろしくおねがいします。
Posted by なかのまき at 2010年09月16日 23:49
2度目のコメントです
やっぱり面白いです。勉強になります
> 筆跡診断にたずさわる方々の間で、問題解決をはかってくださるとありがたいです。
これはまきさんは怒るかもしれませんが
公な教育現場や人事に筆跡診断を使うことで解決するのが1番の近道だと、私も協会も考えています
逆に個人の楽しみで使う事は、危険であるといえます
それに私もプロなので、もう個人で楽しむことは、いけない立場となりました。
心理学の名を騙る。も面白い意見ですね
私も慎まなくてはいけません
ただ筆跡診断には発達心理学、学習心理学、知覚心理学、認知心理学、感情心理学、欲望の心理学、臨床心理学
の基本を少しは勉強するし利用するので、どうしても心理学を騙ってしまいます。すみませんでした、別に仲間をかばうわけではありませんが、鼻についたならすみませんでした。
私は科学者ではありませんし心理学者でもありません
しかし1人の人間の将来性や可能性を診る以上は、それなりの確証がいるのです
ですから筆跡診断者は文字の1本の千の長さ、筆圧、角度をデータ化し、集められたデータを基に統計で調べ
そして何故そんな線を書いたのかを心理学で考える。利用出来るから利用するということなのです。
それはある意味、占いとまったく同じ作業なのです
ですから、科学者にエセ扱いされるのも仕方ない事なのかもしれません。
統計である以上、例外は必ずありますし
そもそも性格、個性というものを簡単に表にすることは出来はしませんので。
しかし個性がある以上、その人の向き不向きは存在します
それを筆跡を利用し、クライアントと共に探して行こう。
それが目的なのです
長くなってしまいました。長文もうしわけありません
別にまきさんを怒ってはいませんし、否定されなければ分らないことはたくさんありますので
このままブログをおつづけください
私も勉強になります
Posted by 佐々木重幸 at 2010年09月17日 02:02
佐々木重幸さん

コメントをありがとうございます。
かなり書きにくいことまでうちあけて書き込みしてくださったのだろうな、と思うとありがたくおもいます。

いろいろ興味深い話なので、この件については後日独立して記事にさせてください。
とりあえず、すこし事項を整理したほうがよいのでは、とおもいました。
佐々木さんへのお返事というより、この一連のコメントをみてくださる方への理解の助けとして以下をかきます。(以下のことは、もちろん佐々木さんは十分ご承知であるとおもいます)
佐々木さんのコメントへのコメントは後日いたします。

>それに私もプロなので、もう個人で楽しむことは、いけない立場となりました。

これは書き方が悪かったです。
佐々木さんではなく、佐々木さんのクライアントの方が、「個人の趣味で楽しむ」ということもふくんでおります。


>心理学の名を騙る。も面白い意見ですね

もちろん、心理学を学ぶ=心理学を騙る
ではありませんので、
筆跡診断の方が心理学を学ぶことをさして、「心理学を騙る」といっているわけではありません。
「心理学を学ぶ」と「心理学を騙る」は別物です。
そこは区別してください。

>統計である以上、例外は必ずありますし

占いは統計ではありません。統計のふるいにかかってはいません。
統計は科学です。


>統計である以上、例外は必ずありますし

これは医学でもあたりまえにおこることであります。
ある薬が全員に効くということはありませんが、医学は「例外がある」ことをもってニセ科学とされたりはしません。
統計のふるいにひっかかって、多くの人に効くとわかった薬を、「例外は必ずある」からと捨てるのは損失です。
統計のふるいにひっかからなかった薬を、「効果がある」といってうりつけたとき、ニセ科学になるだけです。
「例外がある」ということより、「例外がどれだけある」かどうかが大切となります。


>それを筆跡を利用し、クライアントと共に探して行こう。

「クライアントの満足」と「科学的根拠がある」は独立の事象かとおもいます。
科学的根拠が、クライアントの満足にかならずしも必要なものなのかどうか、というとそうでもないような気もします。
むしろ、制約の多い「科学的根拠」は「クライアントの満足」を邪魔することもおおいのではないかな。などとおもいます。

ここでいったん私はこの記事へのコメントをしめます。後日独立の記事をかきます。
Posted by なかのまき at 2010年09月20日 22:27
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