2010年12月26日

かどやひでのり・あべやすし著『識字の社会言語学』(生活書院・2010)

かどやひでのり・あべやすし著『識字の社会言語学』(生活書院・2010)
とどきましたので紹介します。

目次を転載します。

はじめに(かどやひでのり)
第1章 日本の識字運動再考(かどやひでのり)
第2章 均質な文字社会という神話──識字率から読書権へ(あべやすし)
第3章 てがき文字へのまなざし──文字とからだの多様性をめぐって(あべやすし)
第4章 識字率の神話──「日本人の読み書き能力調査」(1948)の再検証(角知行)
第5章 近世後期における読み書き能力の効用──手習塾分析を通して(鈴木理恵)
第6章 識字は個人の責任か?──識字運動でかたられてきたこと、かたられてこなかったこと(ふくむら しょうへい)  
第8章 識字のユニバーサルデザイン(あべ・やすし)
第9章 識字の社会言語学をよむ──あとがきにかえて(あべ やすし)


ほら。目次みてるだけでこれは読まないと。っておもいますね。
このブログととくに大きくかかわるのは、第3章です。


第3章 てがき文字へのまなざし──文字とからだの多様性をめぐって(あべやすし)
        1 はじめに
        2 「文字はひとをあらわす」という社会的通念 
        3 ひだりききへのまなざし 
        4 てさきが不器用なひとへのまなざし 
        5 文字をかくということ/よむということ  
        6 文字の規範をといなおす
        7 おわりに



章だてをみるとわかるように、左手書字についてふれられています。
あと、筆跡診断について。
筆跡診断というか、「書はひとなり」について。


ここで重要なのは、筆跡研究の科学的妥当性よりも、筆跡で性格をしりたい、あるいは、筆跡から性格を診断したいという欲望そのものの問題性ではないだろうか。さらにいえば、筆跡によって人事の決定が左右されるような、てがき文字の社会的位置こそが問題なのではないだろうか。(p.122)


この問いかけにはとても意味があります。
学校の書写・書道の先生が「筆跡から性格の診断をしたい」という欲望をむきだしにしているさまは、このブログで何回かとりあげています。これはとても問題だと私はおもっています。
紙に書かれた字の形から、他人の心の中に侵入したいという欲望はほんとうにグロテスクだ。
そしてそれが「よくあること」と受け入れられている社会もグロテスクだ。

あとは、
「てがき文字へのまなざし──文字とからだの多様性をめぐって」というタイトルのなかに、左手書字の問題を位置づけてくれたのは、私はとてもうれしいです。
私も左手書字の論文をかきながら、「左手利きの人ってカワイソー」っていう文脈じゃなくて、もっとおおきい研究のながれの一つになってほしいな。
ってずっとおもっていたんです。
学校(社会)という場のなかで、どんなふうに、都合の悪い少数者は黙殺されてきたのか、抑圧されてきたのか、その具体例の1つとして使って欲しいな。と、そういう研究のなかで引用してほしいな、ゆくゆくは。とおもっていたので。こんなにはやく願いがかなってしまいました。
これはうれしい。

で、注文としては、左手書字については、ひだりききはひだりききでいいんだけど、左手書字をしているのはひだりてききだけではなく、怪我や病気で右手でペンをもてなくなった右手ききのひともいて、そういう人もものすごく苦労しているみたいで、そういう論文も何本かあるので、それについても触れてあればもっとよかったかな。
とおもいます。というか、これは私が自分の論文でかかなければいけなかったことだー。
1月の改稿のときに……。

っていうのと、関連して「みぎきき」「ひだりきき」ってそんなにきっぱりわけられるものなのかな。区別する必要はあるのかな。
これはちょっと、本の内容から離れちゃうのですが、つねづねおもってるんですが。
「利き手」「私は右利き」「私は左利き」っていう個人の属性にゲタをあずけないで、「右手でも左手でもいつでもどっちでも問題なくつかえる道具と、道具を用意する社会がほしい」っていわないとな。
と。私は考えています。
右利きのひとでも、大きな大切な荷物を右手でかかえているとき、切符を左手でもって自動改札口をくぐるのはおっくう。とか、そういう声は聞くので。
あと、自動改札口は、右手で杖ついてるひとが本当に不便そうです。これはすぐにどうにかしろ。けが人が出るよ。
そう考えると、「みぎききかひだりききか」という個人の属性はわりと、どうでもよくなるんじゃないかな。結果的に。

そんなわけで。
このブログをよんでもらってる人には、おすすめしたいです。
『識字の社会言語学』
書道・書写のせんせえ、読んで欲しいな。ほんとうに。
posted by なかのまき at 23:00| Comment(4) | TrackBack(1) | 日記
この記事へのコメント
ありがとうございます。ご紹介してくださった3章は、加筆修正したのが2007年でして、それ以後は それほど加筆していなくて、なかのさんの2008年の論文なども注で ふれるていどに とどまってしまい、その結果「左手書字をしているのはひだりてききだけではなく」という点にも ふれていません。そのうち論文や著書で ご批判ください。

3章の内容は、また あらためて文章にしたいと おもいます。
Posted by あべ at 2010年12月28日 08:57
度々、ブログ拝見させていただいています。
質問なのですが、『学校の書写・書道の先生が「筆跡から性格の診断をしたい」という欲望をむきだしにしている』というのは一体どういった教育現場における現状を根拠にしていっているのか、私にはわからないのですが、もしかして、教育現場を取り巻くものを根拠にしておっしゃっているのかどうか、教えていただけませんでしょうか。
Posted by ゆみ at 2010年12月30日 09:36
あべさん

コメントありがとうございます。

ひだりききと左手書字者の区別については、私がもっとちゃんと論をふかめていきたいとおもってます。

ひだりききってなんだろう、と最近おもうんです。

むかし飼っていたネコにもどうやら、えものをとらえるときの利き前足があって、でもネコの利き足について、人間はとくにどうともおもってないわけです。
もちろんネコ自身も、「私は左利きだにゃー」とか自認してないでしょうし。

字をかくときとか、なにかそういう、右手で使うものを左手をつかわざるをえない場面で「ひだりきき」を発見されて、「ひだりききなんだね」っていわれて、「ひだりきき」って名前をつけられるんだよな。って考えてます。
Posted by なかのまき at 2010年12月31日 23:34
ゆみさん

コメントありがとうございます。

小・中・高校での教育現場のことはわかりません。
むしろ知りたいので、ご存じの方がおいででしたらおしえていただきたいです。
「字に性格がでる」っていう根も葉もない世間の偏見にたいして、先生がどのように対応しているのか。

私が学校の書写・書道の先生で、根拠として示すことができるのは大学の先生です。

たとえばここのブログの記事ですと

「筆跡と個性」http://morumo.sblo.jp/article/36170608.html

あとは、
「書は人なりって硬筆でも毛筆でもいえるんでしょうか。 あ、疑似科学ならなんだって言えるね。」
http://morumo.sblo.jp/article/34748653.html

「宿題」
http://morumo.sblo.jp/article/35378026.html

大学の先生は文章をかくので、押さえることができますが、教育現場ではどうなっているのか、私にはわかりません。

私が学校の先生の心ない発言に不愉快な思いをしたことも書くことができますが、そういう個人の体験はあくまでもいくらつみかさねても、弱い証拠にしかならないのでとくに言及はしません。
(おのおのの先生個人レベルでみれば、筆跡学に傾倒している先生もいれば、ぎゃくに、世間の偏見から児童・生徒をまもってくれている先生もいるでしょう)

なにか、現場の教育にたずさわる小中高校の先生がだされた、公式に確認できる見解などがあれば、ぜひともうかがいたくおもいます。
Posted by なかのまき at 2010年12月31日 23:51
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〔追記あり〕かどやひでのり・あべやすし【編】 『識字の社会言語学』(生活書院)
Excerpt: ”識字の社会言語学”
Weblog: ましこ・ひでのり おぼえがき
Tracked: 2011-01-12 17:35