2011年02月23日

知恵と真実と救いの「かさこじぞう」

平成23年度から学習指導要領がかわります。

で国語はいろいろかわりますが、
「伝統的な言語文化に関する事項」
ってのができます。

それにかんする特集が、いまけっこう国語教育の雑誌でばんばんやられていておもしろいので紹介します。
けっこうおおきいのが、小学校1・2年生で「昔話や神話・伝承などの本や文章の読み聞かせを聞いたり、発表しあったりすること」っていう文句がはいります。

現行の指導要領でこれと対応するのが
「言語事項」の「昔話や童話などの読み聞かせを聞くこと」

ってところですね。
「童話」ってのがきえて、「神話」と「伝承」っていうのが増えてます。

それはそうとして。
いまも、昔話については小学校低学年の教材としてあつかわれているようです。
どのようにあつかわれているか、国語教育の実践研究論文から、みてみましょう。

左近妙子(2010)「日本語で考え、伝える基礎を楽しく」『教育科学国語教育(明治図書出版)』734号 pp.39-42

「かさこじぞう」についての実践研究です。


三 二年生の音読の実践例―「かさこじぞう」

「伝統的な言語文化に関する事項」の低学年には、昔話や神話・伝承などの文章の読み聞かせを聞き、古典に親しむことが明記されている。(p.42)


うん。これ、新指導要領みたときも疑問だったのですが「昔話や神話・伝承」と「古典」になんの関係が?
なんで昔話の読み聞かせが古典に親しむことにつながるの? ぜんぜん関係なくない?
そのへんのリクツがよくわかんないです。いや、ほんきでわからないんですけど。
まあいいや。

で、びっくりした記述があったので以下に引用します。

民話を読むためのポイントを知ろう
(1)物語のテーマを知る。
民話は、人生の真実や知恵がテーマとなっている。「正しい行いをする者は救われる」という「かさこじぞう」のテーマを、子どもに分かりやすく伝える。(p.42)


えっ?
「かさこじぞう」のテーマが「正しい行いをする者は救われる」?
おもわず「かさこじぞう」のあらすじを調べてみました。

そしたら

wikipediaにつきあたりました。

笠地蔵―wikipedia

あらすじ引用します。

ある雪深い地方に、ひどく貧しい老夫婦が住んでいた。年の瀬がせまっても、新年を迎えるためのモチすら買うことのできない状況だった。 そこでおじいさんは、自家製の笠を売りに町へ出かけるが、笠はひとつも売れなかった。吹雪いてくる気配がしてきたため、おじいさんは笠を売ることをあきらめ帰路につく。吹雪の中、おじいさんは7体の地蔵を見かけると、売れ残りの笠を地蔵に差し上げることにした。しかし、手持ちの笠は自らが使用しているものを含めても1つ足りない。そこでおじいさんは、最後の地蔵には手持ちの手ぬぐいを被せ、何も持たずに帰宅した。おじいさんからわけを聞いたおばあさんは、「それはよいことをした」と言い、モチが手に入らなかったことを責めなかった。

その夜、老夫婦が寝ていると、家の外で何か重たい物が落ちたような音がする、そこで外の様子を伺うと、モチをはじめとする様々な食料、財宝がつまれていた。老夫婦は手ぬぐいをかぶった地蔵を先頭に7体の地蔵が去っていく様を目撃する。この贈り物のおかげで、老夫婦は無事に年を越したという。(笠地蔵―wikipedia



ああ、うん。
私の知ってる「かさこじぞう」と同じストーリーです。

で。

石でできた人形にかさをかぶせることが「正しい行い」って。
まったく意味わかんない。
えっ?
なにがどんなふうに「正しい」の?

石の人形にかさをかぶせたらお礼にコメとモチをもらいました、って、
どうにもばかばかしいストーリーじゃないですか。

いえ、おじいさんの行いがバカバカしい、と主張しているわけではありません。
ただ、石にかさをかぶせるという意味のわからない行為を「正しい」と、一方的な解釈をおしつけられたらたまったもんじゃないよ。
っていいたいだけです。

しかも「正しい行いをする者は救われる」の救いかたが、家の外に「モチをはじめとする様々な食料、財宝がつまれていた」という、なんか他人任せというか主体性のない救われ方でいいのかい。

左近氏は「民話は、人生の真実や知恵がテーマとなっている」とかいてありますが、売れ残ったかさを石にかぶせるじいさんのどこに知恵があって、かさのお礼にと、地蔵という石が、家の外に大量のモチや財宝をおいていくというストーリーのどこに真実を感じるんですか?

いや、ちょっと「かさこじぞう」にたいしていいがかりにちかい文句をつけてしまいましたが、「かさこじぞう」のストーリーは、私はきらいではないです。
かさがうれのこって正月のモチがかえなかったおじいさんが、「ぜんぜん売れなかったよ」っていっておばあさんをがっかりさせるより「お地蔵さんにかさをあげたってことにしよう!」っていうあそびごころは、とてもこのましいとおもいます。
で、やるからには、ほんとにちゃんとお地蔵さんの雪をはらってあげて、かさをかぶせてあげる、その徹底したあそび方もいいとおもいます。
で、そのおじいさんのあそびごころにのってあげるおばあさんもすてきですね。
「よし、売れなかった分は明日またうりにいこう! と、おじいさんは毎日努力をつづけました。めでたしめでたし」
っていう根性論より、ずっといいし、面白い。

というわけで、
かさこじぞうのストーリー自体はきらいではありません。

ただ、それを国語という教科のなかで「正しい行いをしたから救われた」「真実と知恵」みたいなちょっとむりめの解釈を一方的におしつけると、いろいろムリがでてくるでしょう。

なんで石にかさをかぶせるのが「正しい行い」なの?
なんで石がモチをめぐんでくれる展開が「真実」で「救い」なの?
ただたんに、「おはなしとしておもしろい」ではだめなんですか?
なぜ昔話に「ただしさ」とか「真実」とか「知恵」とか「救い」が必要なんですか?

この疑問にこたえてくれる論文を紹介します。


伊藤龍平(いとう・りょうへい)2009「昔話唱歌・唱歌劇と植民地下台湾の国語教育」『國學院雑誌』110−11 pp.421-433


この論文、すごいおもしろいです。
長くなるので、詳しい紹介はまた後日記事にします。
ぜひ、入手できましたらよんでみてください。

posted by なかのまき at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 国語教育
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/43559751
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック