2011年04月12日

宿題はなんのためにでるのか

おもしろい論文みつけたので紹介します。

酒井一郎(2011)「だっこへの愛着ととまどいの欠落―いもとようこ『しゅくだい』の読まれ方―『人間学紀要(上智大学)』40 pp.195-222

いじめや非行や少年犯罪の「多発化・凶悪化」、家族から子どもへの虐待や犯罪の「増加・深刻化」が報じられ。文部・厚生行政は効果的な対策を模索している。(略)教育、とりわけ初等教育の場でも防止のための研究・実践が試みられている。おもに低学年の小学生に家人と「だっこ」することを宿題にする実践もそのひとつである。長年山口県で小学校教諭をしていた宗正美子(むねまさ・よしこ)氏はそうしただっこの宿題をじぶんの授業でもおこない、定年退職後その経験をもとにした創作童話を童話コンテストに投稿して入賞した。いもとようこ絵本『しゅくだい』(岩崎書店2003年)の原作がそれである。(酒井2011:196)


この論文は図像学者若草みどり氏の『戦争とジェンダー』(大月書店・2005)の研究をうけてかかれたものだそうです。

だっこの宿題の実例は以下に引用します。

宮崎県小林市の三松小学校では毎年2月に、バレンタインデーまでの一週間、「バレンタインすきすき週間」を設け、親子で毎日一分間ギュッと抱きしめあうという宿題が出されている。日付のついた表のプリントに、できた日には◯や◎や花丸を、できなかった日には×を生徒が付け、親子がシートに感想文をつづって提出するという形式のものである。2004年から、親子のふれあいをうながす取り組みとして、「いじめ・不登校対策カウンセラー」の教諭が発案、生徒指導部が保護者に呼びかけ、実施しているという。
2010年の同校の取り組みをNHKが春休み開始日の夕食後の時間帯にドキュメンタリーふうに紹介していた。これまで宿題をしてこなかった5年生の少年が、今年こそ息子と抱き合いたいと手を尽くす父親からの促しや誘いを拒みつづけ、最終日にやっとハグにいたるというプロット構成で、番組のエンディングでは、子どもが誕生したときの気持を思い出して「ギュッと抱きしめてください」という案内役斎藤優子(同市出身)のナレーションが流れた。(NHK総合テレビ『にっぽん紀行』「宿題は親子でギュッ〜宮崎・小松市」(2010・3月23日)
(酒井2011:212)


私はこのところを読んで、「きもちわるっ」ってすごく違和感をかんじましたが、
酒井氏はこの宿題について、こうまとめています。

だっこという双生交流的で家族的な親子の図像は、和やかで平安にみたされた記憶を見る者に呼び起こす。そのように温かく呼び起こしながら同時に、その平安を脅かす外部勢力を示唆する操作によって、母子抱擁イメージは洋の東西を問わず、国策推進メディアの愛郷心涵養のプロパガンダに利用され、戦争へと家族を送り出させる戦意高揚の用をはたしてきた。キリスト教聖母子画やピエタでさえ、そのような効果をもたらしたとの指摘もある。戦争を知らない国民が八割を占める今日、その愚が再現されないようにと憂うる危惧にたいしては、メディア・リテラシーの実践教育が「活発化」し、市民発・個人発の草の根メディアとしてのウェブが機動する時代に、それは考えすぎだよ、という楽観もあるだろう。たしかにそうかもしれないし、心底そうであってほしいものだが、だからこそ危うい規制を感知したカナリアは、声を嗄らしても泣かねばならない。(酒井2011:211)


だっこの宿題がもしかして国策推進につながってしまうのではないかという指摘です。
酒井氏の指摘と、私が感じたこの宿題への違和感は関係があるのか、ちょっと判断はつかないのですが。

親子のふれあいがいやなのではなく、親子のふれあいが「宿題」としてがっこーから出されることがなんか、すごくきもちわるいんだとおもいます。
「親子のだっこ」が「◯◎花丸×」と評価されるのも、感想を先生に提出しなければいけないのもふくめて。NHKが小学校5年生の少年をオカズにして美談をしたてあげるのもふくめて。

さてこの論文、注がよんでいて面白いので、ちょっと紹介します。


教師にとって宿題をしてくる子はいい子である。子どもの側からいうと、いい子でなければ宿題をするいわれはない。いい子であるから、いい子になろうとして宿題を怠らない。つまり、いい子ばかりなら教師は宿題を出す必要はない。教師が宿題を出すのは、すでにいい子である多数に加えて、新たないい子を産出するためである。(略)
いもと絵本でも正宗童話でも「みんな」宿題をしてきたようだ。そればかりか「だっこのしゅくだい、またあるといいね」と拒否の声は聞こえてこない。すなわち、yes-childrenを創出すること、それが宿題権無効化のリスクをかけてでも試される教育工学的効果だったのである。(略)
世界規模の階層格差化の進む今世紀にいたって新自由主義と新保守主義の共合した文教エデュケア行政にとり、情操陶冶には個人責任競争主義を保管する防犯予防的な効果がみ込めるとともに、地域の草の根連帯の幻想を回収する教育メタファとしてテコ入れが図られている。「だっこ」の絵本への共感も、学校によるポスト産業下層労働者の継続的産出を補完する下からの公教育小権力による家庭への善意の介入とみることもできる。
(酒井2011:219)


宿題って、べんきょうのたすけのためにあるわけじゃあないのか……いい子の産出のためにあるのか。

というわけで、この論文を読んだ私の感想。
だっこの宿題は学校によるポスト産業下層労働者の継続的産出を補完する下からの公教育小権力による家庭への善意の介入とみることもできるので廃止してほしい。


あと、ちょっとすごく気になってるのが、酒井氏が紹介した”「いじめ・不登校対策カウンセラー」の教諭”ってなんだろう。
スクールカウンセラーという人がいるのはしってるけど、それは専門職員であって、「教諭」ではないはず。あと、「いじめ・不登校対策」で「親子でギュッとだきあう」を提言する専門職カウンセラーなんているのかしら。
「カウンセラーきどりの教諭」でないことをねがっています。
posted by なかのまき at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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