2009年10月29日

左手で字を書きにくいならパソコンで書けばいいじゃない

「左手で字を書きにくいならパソコンで書けばいいじゃない」

どこのマリーアントワネットかよ、みたいなタイトルですが。

ネタでなく。
マジメに本気で言われたことあるので。
(というか、わりと普通によく言われるので)

このブログをつくるきっかけが、この一言(言われたのは一回じゃないけど)なので。

一番最初にこれ、説明しておきたいです。
なにが問題なのかというと。

「パソコンで書けばいいじゃない」って

右手書字の人は手書きで書くかPCで書くか選べるのに、

左手書字者は手書き文字から追い出しちゃえってことなんだろうか。

そういうつもりでいってるなら、左手で毎日のように字を書いている私は腹が立つのでそういうことを言わないで欲しい。

結論いいました。


以下はやたら長くなったので、
その気になったら読んでください。
本当はブログなんだからもっと短く書きたいのだけど。

「左手では字が書きにくい。」
「パソコンで書けばいいじゃない」

まず、文字にしてみると明らかに会話がかみ合っていないかんじですね。
なんで手で字を書きにくいって言ってるのに、いきなりパソコンが出てくるんだ?

「パソコンで書けば〔………〕いいじゃない」

かみ合ってないと感じるのは、
の発言のほうに、〔 〕のなかに省略されたことばがあるんです。

で、〔 〕には何が入るのか。
すごく意地悪なものの考え方をせず、素直に考えれば。

「パソコンで書けば〔てがきの文字を書かなくて〕いいじゃない」

だとおもうんです。
でも、だいぶ違和感があるので
もっとよい解釈があれば嬉しいのですが。
だって、

「左手利きの人はもうこの先一生手書きの文字を書かなければいいじゃない」

ってことですよね。
これ、だいぶとんでもないことを言ってるようにみえるのですが。

「手書き文字」と「パソコン打ち出し文字」は、まったく同価値に、同じ役割を担っているわけではないのです。

お手紙を手書き文字の文字でやれば「心がこもってる風」になったりしますし、パソコンで打ち出した文字だと「ちゃんとしてる風」になります。

生活の中で場に応じて使い分けてるわけです。
そう考えると、
「パソコンで書けばいいじゃない」
て、誰にとってなにが「いい」のか、私にはちっとも分かりませんね。

仮に、
この先一生手書きの文字を書かなくてもいいような世界に住んでいれば。
「パソコンで字を書けばいいじゃない」
はまっとうなアドバイスかとは思いますが。
(それにしたって手で字を書きたいという左手書字者はゼロなんだろうか。
手書きの字がキレイねって褒められたかったり、お手紙に墨でさらさらと「あらあらかしこ」とかやってみたい左手書字者はいないという前提でよいのでしょうか)

まあ、とりあえず現在の私が
「パソコンで字を書けばいいじゃない」を実行したとしましょう。

えーと。

大学は、学校も授業のノートは手で取ります。
PCはキーボードの音がうるさいから使わないです。
図書館もPCの使用はごく一部の場所でしかできません。
PCを持ち込めない場所で本を読まなければいけないときもあるので、メモを取りたくなったら困ります。
あと、ちょっと前まで大学院生の履修登録は紙に書いて提出でした。
というわけで、学校では手書きの文字を書かないでいるのは難しそうです。
しかたないので、学校をやめましょう。

私の仕事場も、手書きの文字を書かないでは一日も過ごせない場所です。
じゃあ、仕事もやめましょう。

学校もやめて、この先永遠に手書きの字を書かなくていい仕事について(どんな職場だか検討がつきませんので、だれか知ってたらおしえてください)。

クレジットカードは解約すればいいですね。

ツタヤとかいって会員になりたいとおもったら、名前と住所を記入しなければいけないので、そういうものの会員には一切ならなければいいですかね。

病院にいったら初診の問診票をかかなければいけません。病気にかからなければいいですかね。

「恵まれない子供達のために署名をあつめてます!」っていわれたら断りましょう

役所に手続きにいったら「この書類を書いて下さい」とかいって紙を渡されることもあるので、引っ越しとかケッコンとか出産とかもしない方がいいですね。

死ぬときには私は何も書かなくていいので、死ぬことは出来そうですね。


というわけで、かんがえてみれば私は大人なので、PCを人並みにいじる技術も持っているし、字を書かない一生でもなんとかやっていけそうです。
(心底やりたくないけど)

ただ、私が子供だったら。小学生だったらどうですかね。


「左手で字が書きにくいです」
「パソコンで書けばいいじゃない」
って言うかなあ。

教室にPC持ち込んで板書をPCでノートしてもいいのかな。
「かきかた」とか「書道」の時間とかどうするのかな。
漢字とか、「とにかく手で書いて憶えなさい」とかいって10回くらい書かされたけど。教育法は変わってるのかな?
「書いておぼえる」以外にひらがなと漢字のおぼえ方は開発されてるのかな?

テストは大丈夫なのかな。
漢字の書き取りテストどうするんだろ。
PCで算数のテスト受けていいのかな?
図にかいて説明せよ、とかいう問題はどうするんだろ。
画像ソフトで書くのかな。それとも図は手でかいてスキャナで取り込むのかな?

あと、
PCて高価だし、乱暴に使うとすぐ壊れるという
経済的な問題はどうすればいいかな。

小学校の、中学校の、高校の、大学の受験はPCで受けられるのかな。
就職試験はPCで受けられるのかな?

将来的には、これらぜんぶ、「問題ない」って言えるようにしたほうがいいでしょう。
授業のノートも、テストも、ぜんぶPCで出来るようにするべきでしょう。
もちろん、書道の授業も。(何をやるんだか知らないけど)

これ、手書きの文字なんか滅びてしまえ、ってことではなく。
左手利きの人も、右手利きの人も、文房具を選べた方がいいな、ということです。
鉛筆で書くか、シャープペンシルで書くか、ボールペンで書くか、パソコンで書くか。
自分の書きやすい文具を選べるようになればいいね。

ただ、現状は無理ですね。

一生手書きの字を書かないで生きる、というのは、しんどいから嫌だ。
それだったら「字が汚いから心も汚い」と言われても、しぶしぶながら、手書きの文字を書きつづけることをえらびます。

だからね、

「左手で字を書きにくいならパソコンで書けばいいじゃない」

って、私は、どういうつもりでいってるのかわからない。
すごく悪意のある目でみると。

「(そりゃあ、たしかに左手で字を書くのって大変かもしれないけどざ)(いまは全部の字を手で書く必要なんかないんだから)(昔にくらべたらちょっとはマシなんだから)(左手利きの人は)(ちょっとくらいガマンして、下手くそな字と平行して)パソコンで書けば(右手利きだけに都合の良い手書き文字の宇宙を温存出来て)いいじゃない」


と言ってるようにきこえるんですけどね。
いえ、「そんなつもりじゃない」のは分かってます。
けどね。けっきょく
「パソコンでかけばいいじゃない」
ってのは、意訳すれば

「私はなんにも考えていませんので、そんな話を振らないでください。考えたくありません」

っていうことでしょう。

まあ、それはいいですよ。
べつに考えたくないことは考えなくてもいい。

でもね、なんか、自分の生徒や学生に手書きのノートをとらせて、自分の所属する学校の入試は手書きで試験をうけさせて、
生徒や学生に手書き文字を書かせないわけには行かないような場所に追い込んでいる、
学校の先生まで
「パソコンで書けばいいじゃない」
っていうのが本当に不思議なんですけどね。
いいわけない。
なんのつもりでそんな意味のないことをいうんだろう。

わりと、知り合いの学校の先生も
「パソコンで書けばいいじゃない」
って。
言うんです。
あ、日本語教育の教師も。
「もうだいたい授業はパワーポイントだから」

posted by なかのまき at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと

2009年11月24日

書道は滅びるかもしれない?

『とめはねっ! 鈴里高校書道部』(河合克敏・小学館)

という書道のマンガを紹介してもらって、
このマンガについていろいろかきます。

とりあえず、その準備で。
思ったことを。


私の通ってる大学の性格上、私の知り合いにも書道の先生や、書道の資格をもってるひとや、書道家がいるのですが、
わりと、みんな書道の行く先を憂えているんです。

「書道は将来滅びるかもしれない」

みたいな極論をいう人がいて、
まー、そうでなくても
「パソコンの普及で書道はすたれる」
みたいなこと、すごく言うんです。

でも、なんで滅びる心配してるのかまったく私にはわかんないんです。


そんなに書道って、マイナーな趣味でしょうか。

まず、
小学校中学校で必須ですよね。書写。
書写がないと、子供はどうやっててがき文字をおぼえていいのかわからない。
高校にはいったとしても、芸術選択で「書道・美術・音楽」の3択って、多いんじゃないですか?
そして音楽や美術が好き、なんていう生徒なんか一握りです。

音楽とかよくわかんないし、絵も下手だし、っていう生徒は、
「とりあえず字をかいておけばいいんだろ」
ってかんじで。
芸術選択は書道は一番人気だったような記憶があります。

お稽古事だって、書道教室って、わりと人気のある習い事じゃないかとおもうし。
通信講座とかでも「ペン習字」って大人気ではないですか。

むしろ華道とか茶道とかにくらべれば。
(比べていいのかわかりませんけど)
学校教育のシステムにがっちり組み込まれて、
保護されてる比較的安全なジャンルなのではないかなー、
って気もするんですが。

書道が滅びる心配なんかする必要があるんだったら「フラダンスは滅びるかも」「ウクレレは滅びるかも」「鉄道模型はほろびるかも」「将棋は滅びるかも」って、もっとマイナーな学校教育制度にも守られていない趣味の滅亡を心配すればいいのに。

なんで書道の人たちがそんなに悲壮感をただよわせているのか、
いつも私はよくわかんない。です。

あと、どうしてそう悲壮感を漂わせるときに必ずパソコンを引き合いに出すのかもほんとうに、理解できません。

ちょっと先取りしますが、『とめはねっ〜』にも出てくるんです。
そういうセリフが。


それにしても、
日本の高校生はみんな、
当たり前のように
携帯電話を持っているんだな。

まてよ?
「書道」の字
読めないのも…

書道部に人が少ないのも、
"メール"が普及したせい?

(『とめはねっ! 鈴里高校書道部』1巻 32ページ)


出ました。
「書道が衰退している」
という本当なのかよくわからん前提の元で、ケータイやパソコンのメールを悪者にしてる発言。

私は、もし本当に書道が落ち目なのだとしたら、それはケータイとかパソコンじゃなく。

横書きのせいじゃないかとおもうんですけど。

いや、ちがう。
横書きのせいじゃなくて。
横書きが当たり前になったこの世の中で、
縦書きにしか対応できていない書道業界の怠慢が原因だとおもうんですけど。

縦書きの場合、字の中心線が問題になるけど、横書きの場合、字の肩がそろってることが字の美しさと関係しているんじゃないかな、と思うんですけど。

書道って、縦書きの字の美しさしか問題にしてないですよね。
横書き書道って、ないですよね。

横書きでてがきの文字を書くとき、書道って役に立たないんですね。
で、もう世の中は圧倒的に横書きが多いですよ。
小学校の教科書みればわかります。

縦書きの教科書なんか、「国語」と「書道」だけでしょ。
ノートだって横書きでとっているでしょ。
でも、書道は縦書きしか教えてないでしょ。

まあ、書道なんだから、伝統を守りたいというのもあるかもしれないけど。
そもそも明治時代に、書道の人はひらがなと漢字の大きさをほぼ同じにして、学校教育と活字印刷のために工夫をしたじゃないですか。

なんでいまそれができないんですか。
横書きが増えたのなら、
横書き用の書道を開発すればいいじゃないですか。
なんでそれをやらないんですか。

もしくは、「書道を、ニホンのでんと〜を守るために、横書きはやめましょお〜」とか、そういう運動をしたっていいかもしれないじゃないですか。

そういうこと、一切やらないで、
「ケータイが悪い、パソコンが悪い」
って被害者ぶってるのはどうなのかとおもう。

あと、ついでに言うけど、
というか、これが本題ですけど。
左手で字を書く人を排除してきたのも書道じゃないですか。
いまは左手利きのこどもを右手矯正(強制)しない場合だって増えてるんです。
それなのに、いつまでたっても書道は右手書字ばっかりに都合のいい世界で、
しかもそれが学校教育のなかで通用してるのが、よくないとおもう。
左手で字をかくこどもの、「左手で字を書く権利」と「左手で字を書くための学習の権利」は無視されてる状態です。


ちょろっと検索してみたらペン習字のサイトでこんなこといわれてます。
http://www.happy-club.net/others-pen.html


最近は日本人ても若い人に左利きが多くなりました。子供の頃の親の躾が甘かったのてしょうが、字がうまくなりたかったら、
先ず左利きを正常な右利きに直してもらわなければなりません。



ひどいですね。

こんな状況だと、書道の人に

「将来書道は滅びるかもしれない」

とかいわれても、

「うん、滅びちゃえばいいじゃない」

と言いたくなってしまいます。
そして滅びちゃえばうれしいんですが。
ざんねんながら、私が生きてるあいだは滅びないでしょう。
書道。
posted by なかのまき at 22:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと

2009年12月02日

えんぴつは無罪です。

10月29日にもらったコメント

>左手用はさみ・包丁のように、文具を改善したら少しは便利でしょうか。



文具も、万年筆とかは右手に書きやすいように調整してあるらしく(左手利きように万年筆を調整してくれるサービスもあるようです) 工夫の余地はあるとおもいます。


こうかいてしまったのですが、
誤解を招きそうな書き方なので、訂正します。


左手書字については、
えんぴつも、ボールペンも、問題ありません。
まったくもんだいありません。
左手でも右手でも字がかけるし絵もかけるしまわして遊べるし。
安いし、つかうのに面倒くさい準備もいらないし、特に大変なメンテナンスもいりません。


むしろ「左手で書くには"字"に問題がある」と認めたくない人が大好きな、
「パソコンで書けばいいじゃない」ですが。

パソコンのキーボードの、いちばんよくつかうエンターキーは右側にしかついてませんけどね。
鉛筆やボールペンにくらべると
むしろ、パソコンの方が左手効きに優しくない道具だ、って言っちゃっていいでしょう。

左手書字にかぎって言えば。
えんぴつやボールペンにはなんの問題もありません。
現時点で文具として問題が多いのはむしろパソコンです。

そして、左手書字がだめなのは、文具じゃなく。
字です。
だめなのは字です。

あ、毛筆はだめだな。
でも、これも毛筆じゃなくて字がだめだからです。
だいたい、左手利き用の毛筆(押しがきができる毛筆)って、
私の貧困な想像力をもって考えるに
なんかすでに毛筆じゃない気がする。


あと、万年筆もだめ(らしい?)のですが、
べつに万年筆は文具としてはひまなおっさんのおもちゃくらいの位置なので、
まあいいんじゃないですかね。
あと、左手書字用に調整もできるみたいなので。

なんだろうな。

左手利きの私が、ふつうのはさみで紙がきりにくかったら、
「これは右手専用の道具だ! 私が切れないのははさみのせいだ!」
って言っても「そうだね」って納得できても、
「これは右手専用の道具だ! 私が字が書きにくいのは字のせいだ!」
って納得しにくい心情があるのでしょう。
字には、それだけ特別なものがあるように思っている人はおおいんでしょう。
なので、責任を文具にシフトしたくなるのかもしれませんが。

やっぱ、どう考えても、えんぴつは無罪です。

えーと。
字への思い入れや、書道への思い入れがあって、書道や字への批判が耐えられない方(たとえ根拠があるものであっても悪くかかれていたらとにかくいや)にとっては、とても不快な記事が続くとおもいます。

このブログかくにあたってずっとかんがえていて、
いまも結論でてないけど、
ある作品について、批判をすると
「そんなに悪口をかくあなたの人格はゆがんでいる」
みたいにいわれるだろうなあ。と。
それはある程度あきらめなければいけないのかもしれないけれど。

いちおう言っておこうかな。

このブログは、書道やってるひとや、右手書字をやってる人への個人攻撃を意図してません。

「右手で字を書くやつは悪いやつだ」とか「書道なんかやってるやつは悪いやつだ」とか、そんなことはいってませんので、


私の記事で見当違いに傷つかないでください。
私の意図しないところで不機嫌にならないでいただけると助かります。

ただ、

(1)左手で字をかくのは大変だ
(2)書道教育(というか日本語教育や国語教育もふくんだ書字教育にかかわる分野全体)は左手で字をかくことについてあんまりちゃんと考えてない

この2点だけ、知っていてほしいんです。
とりあえず、知ってるだけでもいいです。


階段が、足を使って移動する人の都合しか考えていない

ってことを知っていれば、階段があるところにかならず、エレベーターが必要だ。
と当たり前に考えられるんですから。
そうしたら、階段のあるところにかならずエレベーターがあるというわけではないという社会の実情を問題視することができるんです。

おなじように、

字と字を教えるための教育が、右手で書く人の都合しか考えていない
っていうことを知っていてほしいです。そんだけです。


ちょっと話はずれますけど、

私の友達が、写真をやっていて写真展で入選したんです。
それで、彼女の写真が飾られたんです。
で、彼女には車いすで移動する友達がいます。
彼女は、車いすの友達を写真展に誘いました。
写真展に行くには電車にのらなければいけません。
その駅には、エレベーターがありませんでした。
駅員さんをインターホンで呼んで「助けてくれ」といったのに
誰もきませんでした。
車いすの友達は、
「もういいよ、帰ろう」
って言いました。
「いやだ、私の作品をおまえにも見せたい。おまえも見たいだろう?」
っていって、彼女は友達をかついでホームに行きました。
それから、車いすをもってもういちど階段を上りました。
それで、二人で写真展にいきました。


(あ、これ念のために言いますけど、
美談じゃないです。
『しょうがいしゃを助ける友達思いの女の子』という美談に仕立てないでください。
これは、車いすの人の都合を全く考えていない××駅ふざけんな、って話です)


そのはなしを、私はあとで彼女からききました。
彼女はぷんぷん怒っていました。
「なんでエレベーターがない! なんで駅員が助けに来ない!」
で、私も「ひどい」とおもって怒りました。ぷんぷん。
(私が高校生の時の話なので、10年以上前です。あと、駅員だけじゃなくて、まわりの人もたすけてくれてもよかったのに。高校生の女の子が、友達と、車いすをかついだんだから)

で、この話を

「鉄道システムそのものが悪い」とか「××駅を使う人が悪い」と悪口いっているように曲解しないでください、ってことです。

駅に、エレベーターないから、そしてエレベーターないのにその代わりとなるものもないっていうことに怒ってるだけです。
鉄道や、××駅や、××駅の利用者や、ましてや××駅が大好きな鉄道マニアの人格を否定しているわけではないのです。
それなのに
「そんなに××駅の悪口をいうあなたの性格がゆがんでいる」
と言われたら、それはやりきれません。
がっかりします。

がっかりどころか「悪口をいうおまえが悪い」と言ってしまえば、そのまんま、××駅にはエレベーターが設置されることはないでしょう。

それでいいですか、ってことです。

「電車の駅にエレベーターないなら車で移動すればいいじゃない」

とか言うんですかね。
っていう、はなしです。




posted by なかのまき at 21:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと

2009年12月17日

用語の整理

ブログで、めちゃくちゃにつかってましたが、
ちょっと整理します。

まず、

左利き=左手利き=左手書字者

ではありません。
「左利き」ってのは、たいがい手のことをおもいうかべますが、利き足が左の場合も「左利き」という場合もあるので。
もっと正確に言いたいなら「左手利き」と書いた方がよいでしょう。

で、
「左手利き」=「左手書字者」

ではありません。
左手利きで、ボールを投げるとか、そういうのは左手でやって、字だけは右手で書くという人もいるので。
というか、左手利きのなかでも、左手書字をするひとがマイノリティであった時代もあったので。
これ、データがあるのでそのうち紹介します。
(いやなことに、今もそうかもしれませんね。左利きでも、字だけ右手で書くようにしつけ(矯正の強制)られたり、その方が書きやすいと”自主的”に右手書字を”選択”してる人も、少なくないはず)

なので、
「左利き」が「左手で字を書く人」というと、それはちがう。

でもって、

「左手で字を書く人」が「左利き」かというと、またそれもちがう。

いろんな事情で、右手ききなのに右手で字が書けなくて、左手書字をしてる人もけっこういるので。
これにかんしても、右手利きの人で右半身不随になった人の左手書字についての論文がありますので、機会があれば紹介します。

なので、次の記事から、字を左手で書く人のことを、
「左手書字者」に統一します。

いままではぐちゃぐちゃにしてました。
(左利き、書字、習字とかいうワードでこのブログが検索に引っ掛かって欲しいというスケベ心から)

次。

×左手利きでは字が書きにくい

これ、左手書字者の私からの視点ではこれでいいですが、
右手で字を書いてるマジョリティの立場に立って考えますと、

○字は右手書字者の都合しか考えてない(その結果、左手書字者に不都合なものになっている)

と書いた方がいいでしょう。
「左手では字が書きにくい」は私にとっては真実なのですが、べつに文字を発明した人が、左手利きにいじわるするためにそういうことをしたわけではないので。
あと、右手で字を書く人が「左手利きの人ってかわいそー」とか他人事っぽくおもってほしくないので。
この問題にかんしては、便利な思いをしている右手利きも当事者です。
そこのところはっきりしておきたいので。

これからは、なるべく

左手書字者には字が書きにくい

ではなく、

字は右手書字者の都合しか考えていない(その結果左手書字者に不都合な面がある)

と書くようにします。
posted by なかのまき at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと

2009年12月22日

こわいのは、逃げたいから。

ブログにかいてあることが「こわい」といわれたけど、
どこが「こわい」のか具体的に指摘してくだされば。
「怖くて読み返すのが苦痛」とかいうのなら、無理になさらなくてもよろしいですが。

私はわりと、いろいろ、包み隠しておだやかに書いてるつもりなのですが、これでも「こわい」といわれてしまうと。
もっとこわいことかいてみようかな、とか思ったり……しませんよ。べつに。うん。ぜんぜん。

わたしは、「左利きの人に向かってこういうことを言ってはいけません。それは差別です」とえらそーな啓蒙活動しようとしてるわけではないので。

意味もなくきずついたりこわがる必要ありません。
べつに怒りませんし。
届かないなら、届かないでいいです。

私の意見に一部分でも共感してくれる人に、届いたら嬉しいけど、
届けられないような人にまで、届けようなんてだいそれたことはかんがえてないです。
(と、タテマエ的にかいたけど本音をいえば、届かない人にまで届けばうれしいですけどね。どうしても届けなければいけない人=書道の先生にはムリヤリ届けようと好戦的になってみたりしますけどね。べつだん、届かなかったからって腹をたてたりはしません)

あ、あと
左手利きの人が一枚岩かというとべっつにそんなことはぜんぜんないわけで。

私が書いたことを「左手利き代表の意見」みたいにおもわれると、こまるので、他の左手ききの人に迷惑なので、それはやめてほしいです。
「左手利きの人って〜みたいにおもってるんでしょ」
と、私のブログで書いたことをほかの左手利きの人に興味本位できいてみる、とかいうことは意味ないのでやらないほうがいいでしょう。

左手利きの人でも、「字は右手で書けばいいでしょ。以上。終了」っていう問題解決のしかたをとってるひとは、います。
というか、とても多い。
そういうひとと、私は「おなじ左利きだから」ってほいほいと仲良くなれません。
べつにケンカもしませんけど。気持ちもわかるから。

あと、「左利きは生まれつきのものだから、左手で字をかくことは自然なことだから、自然にさからう矯正してはいけない」
っていうタイプの左手ききのひととけんかしたこともあるので。
「うまれつき」だから「矯正してはいけない」ってのはなんか、あんまり理由になってないでしょ。とおもう。

「自然を大切にネ」が言葉として意味をもった時もあって、それでたくさんの矯正されたくない左手ききの人が救われただろうことは認めるけど、その時代はもう終わってる。
「生まれつき」を理由にしちゃうと、「生まれつき」右手ききなのに左手書字をしてる人を追いつめるからです。

もうすこし、「矯正はいけません」のリクツも、進化できるとおもう。
「自然」にたよらないで、「矯正はだめ」っていえるように、しないといけないとおもいます。

posted by なかのまき at 13:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと

2009年12月24日

てがきと年賀状と左手で字が書きにくいならパソコンで書けばいいじゃないという件

年賀状の時期なので、私はそのたびに暗く思い出して暗く腹を立てているのですが。
なんか、論をくみたてて怒るのがとてもしんどいので、
言いっぱなしで失礼します。
今回は怖いと言われても仕方ない記事で。

年賀状、きらいです。
ぜったい書きませんが、もらうのもいやです。

「返事こなくてもいい。ただひたすら自己満足。年賀状を書いている自分がスキ」
っていう人以外は、年賀状おくってこないでください。
どんなに心をこめて書いてくれても、郵便受け→ゴミ箱直行ですので。

とくに、手書きの一言なんかそえてあったら、心がすさみますので。
「私は手書きの字を書かなければいいじゃないとかいわれてるのに、あなたは手書きの一言を書き添えただけで『心がこもった年賀状』を量産出来ていいですねえ」という大変にひねくれたひがみで、新年早々気分がどす黒くなりますので。
「年賀状を書いている自分がスキ」っていう趣味までは否定するつもりはありませんので、そういう人は送ってきてくれてもかまいませんけど。

なんで私がこんなに年賀状がきらいになったのかというと、

「左手で字が書きにくいなら、パソコンで書けばいいじゃない」
っていったある人に、おなじ口で、
「年賀状だすとき、(大学の)先生へのあて名は、筆で書かないと失礼じゃない?」
っていわれたから。

その人、私の大学院の同期なんですけど、私へのあて名はペンで書いてきたんですけどね。すごいですね。出す相手によって筆記用具を変えてるんですね。下級生のあて名はえんぴつかクレヨンで書いてるんでしょうね。きっと。
この人が私の先輩だったらたまらないよな。
と。おもったことは一度や二度ではありません。

あ、もちろん。

「左手で字が書きにくいなら、パソコンで書けばいいじゃない」
「年賀状だすとき、(大学の)先生へのあて名は、筆で書かないと失礼じゃない?」

は、言われた場面は別々ですけどね。
ここはあえてつなげてみましょう。

「左手で字が書きにくいならパソコンで書けばいいじゃない。だけど、先生へのあて名は筆で書かなきゃ失礼」

すごいですね。なにをいいたいのかサッパリわかりませんね。
で、けっきょく何が言いたいの?わたしにどうしろっていうの?
私は、先生への年賀状のあて名を、パソコンで書くの?毛筆で書くの?

パソコンで書いたら失礼なの?
そしたら私は毛筆で書くの?
でも、左手で毛筆はとてもしんどいんだけど?
左手で書きにくいならパソコンで書けばいいの?
でもパソコンで書いたら失礼なんでしょ?

いや、ね。

「左手で字が書きにくいならパソコンで書けばいいじゃない」
って、私は、おおむね賛成なんです。

ただ、ほんとうに、それがちゃんとできれば。っていう条件付きで。

つまり、小学生がノートはパソコンでとれるようになったら、ってことです。
あと、世間の人が「目の前にいるこの日本人は、てがきで字が書ける」というまちがった思いこみを諦めたら。
役所にいって「はい、じゃあこの書類かいてください」とか無造作に言われなくなったら。
うまれてから死ぬまで、一生手書きの文字を書かなくてすむようになるのなら。
「左手で字が書きにくいならパソコンで書けばいいじゃない」
でもいいとおもいます。

でも、そうじゃない。
「左手で字が書きにくいならパソコンで書けばいいじゃない。だけど、先生へのあて名は筆で書かなきゃ失礼」
とかいうひとはね、
「左ききはパソコンで書けば」は、「被害妄想の左利き、だまれ」っていってるだけなのでね。それ以上の意味はないんです。
じゃなければ「先生へのあて名は云々」とか言えないでしょ。
だって、おかしいでしょ。
「左手で字が書きにくいならパソコンで書けばいいじゃない。だけど、先生へのあて名は筆で書かなきゃ失礼」
って、どうかんがえても、まじめに言ってるとは思えません。


「左手で字が書きにくいならパソコンで書けばいいじゃない」
はい、いいですよ。
ただ、もちろん。
「パソコンのせいで書道が滅びるかも」っていう書道の人にね、「滅びろ」って言わなきゃいけないんですよ。「滅びろ」とまではいわなくてもいいけど、「はい、書道は学校教育から撤退ね。これからはパソコンの時代です」くらいは言わないといかんでしょう。
「だけど先生へのあて名は毛筆で」とか言ってる場合じゃないですよ。

書道の人に「滅びろ」っていう、そこまで考えて、
「左手で字が書きにくいならパソコンで書けばいいじゃない」
って言ってるのか。
どうも、そうは思えないんですよ。だから、すごく私は警戒してます。
「左手で字が書きにくいならパソコンで書けばいいじゃない」
っていうおためごかしには。

「書道は永遠に不滅なの。美しい損傷のない文字を書道教育の時間に教えるの、だけど左利きはパソコンで字を書けばいいじゃない」
は、すじがとおりません。ずるいです。右利きだけ、手書きでもパソコンでも書けるの? 
そのうえ、「筆じゃないと失礼」とかいって、左利きを無礼者にしたてあげるの?
posted by なかのまき at 22:50| Comment(3) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと

2010年01月27日

365〜366日字を手でかかない生活

いつか、
1年間いっさい字をかかずにいきるという実験をしてみたい。です。
それでブログにあっぷする。
「今日は、クレジットカードで買い物をしようとしたが、手で字をかけないのであきらめた」
みたいな日常を。たんたんと。ブログで記録しつづけるの。


ただねー、ほんとうは、これは私のやることじゃなくて、
「左手で字が書きにくいならパソコンでかけばいいじゃない」
っていったひとにこそ、率先して実行してもらいたい。
あなたはほんとうに、てがきの字をてばなせるの?

ただ、だから、
「手書きの字を書かないで生きることは不可能である! 左手利きにも手で字をかく権利がある。左手書字を認めろ」
っていうのは、どうなんだろう、それって。
じっさいに、身体や、心の都合で、手で字をかけない人だっている。
そうかんがえると、「手で字をかく権利」なんて、贅沢なねがいなのでしょうか。
「手でかけないと不便なんだ!」ていって、不便を根拠に「左利きだって手で字をかく権利がある」とかいっちゃいけないんじゃないだろうか。
そもそも、不便をなくすことをかんがえなきゃいけないんじゃないか。

「パソコンでかけばいいじゃない」は、その意味では正論なんですね。手書きの字が書けないいまのよのなかが不便なんだったら、パソコンでいっさいの字を書けるようにしなきゃいけないんです。

左手利きが不便を根拠にしてしまうと、その不便にしがみついてしまって、不便を温存してしまうことになる。
手でペンを持てない人にとって、それはひどいことなのではないだろうか。

posted by なかのまき at 00:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと

2010年01月29日

年賀状屋の陰謀

2009年12月24日の

「てがきと年賀状と左手で字が書きにくいならパソコンで書けばいいじゃないという件」

という記事を読んだ知人に、「年賀状をおくってごめんなさい」とメールが来てしまいました。

こちらこそごめんなさい。
へんな気をつかわせてしまいまして。
あと、「年賀状いりません」っていわないでいて、ごめんなさい。
あと、やっぱり文章の書き方が怖かったなあ。反省です。


えーと、年賀状をもらいたくない、って人は一定数いることは確かなので。
理由はいろいろで、
宗教上の理由で欲しくない人もいるらしいし、虚礼廃止っていう人もいるし、エコじゃないからって人もいるし、返事かくのがめんどくさいってひともいるし、左手で字を書かなければいいじゃないとかいわれたから年賀状出さないって人もいるし。


年賀状をかきたいひとは、
「この人には年賀状をおくってもだいじょうぶだろうか」
って、年賀状だすまえにたしかめる、っていう作業は、必要なのもしれませんが。
まあねえ。でも。そこまで気をまわせ、というのもね。たいへんですよね。
ちょっとまえにテレビのCMで「国民行事だよ」とか歌ってるひどい宣伝がながれてたくらいなんだし。
「みんな、年賀状だすし、もらったらうれしいだろう」
って考える人がいても、おかしくないとおもいます。
「年賀状をもらいたくない人への配慮」は、考慮されなくてもしかたないかなあ、とは思います。

私は、べつにてがきの年賀状を送られてきても、送り主を「いやなやつ」と思ったりはしませんので。
「てがきの年賀状が書けていいですねえ」とか、それは私の勝手なひがみですので、それはわかってます。

いちおう、去年あたりから「年賀状はおくらないでほしい」と、正直にいうようにしています。
まだ全員にはつたえきれてないけど。いうようにしてます。

で、言ったのに送られてくる場合もあるけど。
もう、それは、「年賀状をかいている自分が好き」っていう趣味なので、まあいいか。と。好きにしてくれと。
おもいます。
すぐに捨てますけど。

せっかく書いてくれたのに申し訳ない、って気持ちもありますけどね。
捨ててごめんなさい。ほんとうに、もうしわけないです。
だから、
捨てたくないから、送らないで欲しい。
っていうのが本当のところです。
でも、届いたらそれはすてます。

えーと、ぜんぜん関係ない話になるんですが、
祖父が最近いきなり、
「アポロは月にいかなかった!」
とか言い出しまして……ああ……こまったなぁ。

で、話を戻しますけど、年賀状っていう風習ははよくないですよ。
理由はいつかちゃんとかきますが、やっぱり、年賀状はよくないです。

これは、年賀状を書けと煽るような年賀状屋がね、ものを考えない人が考えなしに「先生の年賀状のあてなは筆でかかないと失礼」とか発言しちゃうような空気を、意図的につくってます。
これは、右手利きだけが得をするようにっていう年賀状屋の陰謀です。

陰謀っても、バレンタインデーのチョコレート屋の陰謀ほど成功してませんけどね。
チョコレートはおいしいけど、年賀状はおいしくないからね。
いや、年賀状たべたことないのでじっさいはよくわかりませんけど。
紙の味がするとおもう。
ヤギじゃないしね。
紙もらってもうれしくないんですよ。

posted by なかのまき at 22:14| Comment(3) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと

2010年02月25日

ほんとうは、いろいろ知ってるんです

前回の記事の
「自分がなにやってるんだかわかんない」のうちわけ。

ひとつめ。
筆順がのさばりすぎてる世の中がひどすぎて、いきていくのがつらい
について。

でもね。やっぱりね。むかしの左手利きよりわたしは、だいぶ生きやすいことは、それはわかってるんです。
むしろ、「私が左手で書くのが当然だ」って、思うことを、いろんな人に承認されて生きてきたから、「じゃあ筆順ってなんだよ!」って思えるわけで。「左利きは親のしつけがわるかったからだ。恥ずかしい」(←しらないオヤジに面と向かっていわれたことあり)とか、そういうことを自分で思ってしまっていたら、筆順にたいして腹をたてたりしないから。「すべて私がわるいんです」って。思って終わりです。

「私が左手で書くのが当然だ」って思って成長できたのは、昔、左手利きの人や、左手利きのことを考えた人が、いっぱいがんばってくれたからです。
「たしかに、左手利きの矯正っておかしいよね。私のこどもはちゃんと、左手利きとして生きさせよう」って、私の親が思えるくらいに、先にいきた左利きがたくさん、世の中に声を届けたからです。

私は、まだ少しは、楽に生きさせてもらったことに、感謝しているので。
そういう、先にいきたひとのやってきたことを、無駄にしたくない。
たまにはへしょげながら、でも、まあ。初音ミクたんになぐめてもらって。
なんか、やりたいんですよ。なんか。

ってわけで、「生きにくい」については終わり。
で、もやもやのもうひとつは、

筆順について。

筆順については、
「いや、あれ左手で字かくときつかえないよね?」
で終わりじゃないですか。
現行の”正しい筆順”なんか、それいった時点で終了です。

「筆順は大切」とかいってる人は、
できるものなら、左手書字者を無視した教育をやりつづけるための、正当な理由をだせるものなら出してみればいいでしょう。
どんなにさかだちしたって、「左手書字を行う学習者にとっては不利益にしかならない」をひっくりかえして、「いや、現行の”正しい”筆順は正しい」と正当化できることばなんか、出てくるわけがないです。
せいぜい、「左手書字?なにそれ、おいしいの?」とすっとぼけるか、「左手で字が書きにくいならパソコンで書けばいいじゃない」と話をすりかえることしかできないんです。
あ、「筆順は大切。でも、左手ききは勝手にすれば?私、しらなーい」とかダブルスタンダードしてみるとかね。

だから、私がそれ以上、なんか筆順について言うのって。たとえば
「筆順の”正しさ”は時や場所によって違うんだよ?」
「右手書字者にとっても、あれは横書きするときには役にたたないよ?」
「横書きが普及したときに、書道教育にたずさわる人間は、筆順のていれを怠ったまま、変化を乱れとさわぎたてて不安をあおって、効果があるとは思えない毛筆書道を義務教育にねじ込んだんだよ。本当に、筆順て”正しい”の?」
「筆順の正しさが、漢字の習熟度とか、そんな関係ないものまではかる基準になっちゃってるよ」
とか。とか、いろいろなことをいうことについては、もうそこまでしてくると、わたしなにがしたいんだろう。

ただ、
「筆順は、左利きだからいやなんです」
に、
「あ、うん。そーだね、もうやめようか」
っていってほしい。いってほしいじゃない。言うだけならタダですからね。
わかってほしい。

私は、”正しい筆順”を攻撃したいわけではなく、左手で字をかくことがないがしろにされているのがいやなわけで。
なのに、いつのまにか”正しい筆順”は正しくない!
って、自分がいいたかったような気分になってしまったようなきがして、自分がなにをしてんだか、ちょっとよくわからなくなってきたので。

いや、使えるものは使いましょう。
筆順そのもののうさんくささを伝えることで、結果的に左手で字がかきやすくなるのだったら、それでもいいんだけど。
いいのかなあ。わからないです。
ってわけで、ちょっと混乱してるのでひとやすみ。です。
まあ、けつろんでないまま、また話はじめるとおもいますけど。

あと、最終目標は筆順なんかじゃない。
漢字がいや。
漢字そのものが、かきにくいんです。
ひらがなもアルファベットもハングルも左手で書きにくいけど。
漢字よりはずいぶんまし。
漢字がいやです。

結論としては、
ほんとうは、漢字だってどっかにやってほしいけど。とりあえず、いますぐできるところやりましょう。漢字を左手で字をかくこどもにおしつけるならせめて、筆順くらいどーにかできないの? できるでしょ。 できるところからやりましょおよ。
せめて、左手で字を書く人を、”正しい”筆順から自由にしてよ。
「筆順正しくないからおまえバカ」とか、そういうこと、やめましょうよ。
posted by なかのまき at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと

2010年04月14日

自問自答:手で字を書く権利をふりかざしてどうしたいのか

なんか、科研費が決まったんですよ。
で、誓約書っぽい書類に自筆でサインして提出しろ、っていわれたよ。
私はこういうことを要求されるたびに、
「左手で字がかきにくいならパソコンでかけばいーじゃない」「左手で字が書きにくいなら右手で書けないの」っていわれたときの悔しさを思い出すようにしてます。
それはもう、意図的に。



2010年01月27日
365〜366日字を手でかかない生活


のなかでじぶんがかいた

ただ、だから、
「手書きの字を書かないで生きることは不可能である! 左手利きにも手で字をかく権利がある。左手書字を認めろ」
っていうのは、どうなんだろう、それって。
じっさいに、身体や、心の都合で、手で字をかけない人だっている。
そうかんがえると、「手で字をかく権利」なんて、贅沢なねがいなのでしょうか。
「手でかけないと不便なんだ!」ていって、不便を根拠に「左利きだって手で字をかく権利がある」とかいっちゃいけないんじゃないだろうか。
そもそも、不便をなくすことをかんがえなきゃいけないんじゃないか。


に、じぶんで答える。

私は、そうは言っても、ペンを持てる。
汚いけど、読める字をかける。
そんな私が「私にも手書きの字を書く権利を!」とさけんだところで。
いったいそれになんか意味があるのか。
そんなことを考えて。

なんか、整理がついたので。

私が腹がたつのは、
「左手で字がかきにくいならパソコンでかけばいいじゃない」
っていわれるとき。
そのとき、私は、いったいなにに、はらをたてているのか。
左手で手書きの字が書きたいのか。
そうじゃなくて。

というか。

書写をおしつけて、毛筆書道をおしつけて、漢字の書き取りの宿題をおしつけて、ノートを手書きでとらせて、試験を手書きでうけさせて、誓約書を手書きで書かせて、履歴書を手書きでかかせて、そういうふうに。

手で字をかかなければいけないところに私を追い込んで飼い慣らして、あげくに「書きにくい」ってちょっと文句を言えば「パソコンでかけば」ってあっさりはしごをはずす。
「右手で書けないの?」なんて最悪。


手で字をかかなければいけない場所に、私を連れて行ったのはだれ?
私はそれをしたいと、えらんだ訳じゃない。
小学校に入学したとき、もう、私はそのなかに囲い込まれていた。
手で字をかくことが当たり前の世の中にほうりこまれて、それなのに「手書きで字を書く権利なんか贅沢なことだから言わない方が」なんて私が悩むなんて、それはちょっとお門違いなんです。
私がそんなことをかんがえちゃいけない。

「じゃあ、なに?この社会は手書きの字をかかないとこんなに不便になってるのに、私は左手で手書きの字をかいちゃいけないの!」
って、それは言っていいでしょう。
そしてそれは、「手書きの文字を書かなくてもいい権利を!」という人のいうことの、邪魔にはならない。

手書きの字が書けないとなにか大切なものを侵害されているような錯覚におちいる、
私をこんな身体にした、責任はだれにあるの。


posted by なかのまき at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと

2011年01月11日

ひだりききを「きょうせい」しないことに理由はいらない(はずかしいくらいにあたりまえ)

あたりまえのことですが、カンチガイしてる人がいるので確認します。

利き手矯正の是非について。

まず、利き手で字をかくことに理由はいりません。
たとえば、ひだりききの人が「左手で字が書きにくいなら右手でかけないの?」
という質問(というか恐喝)をうけたときは「え、なんで?」でいいんです。
なぜなら、質問の内容が意味不明だからです。
なにも前提がなければ、「利き手じゃない方で字をかけ」といわれる意味がわからないわけで。
まあ、「字は右手で書くようにつくられてるんだから」というあちらの言い分も想像できますが、それをやさしく察してあげる必要はありませんし、それはこちらの責任ではありません。
むしろ、他人に、「利き手じゃない方で字をかけ」という人間が、他人の生き方にわけのわからん口出しをしてくる人間のがわが、

「なぜおまえは利き手じゃない方の手で字をかかなければならないのか」

ということについて、きちんと説明する責任があります。

前回紹介した、

小林比出代(こばやし・ひでよ)2005「左利き者の望ましい硬筆筆記具の持ち方に関する文献的考察―書写教育の見地から」『書写書道宇教育研究』20 pp.30-40

は、そこをはきちがえているんです。

「左手利きを矯正してはいけない理由」が資料をもとに述べられているのですが、そもそも、「左手利きが利き手で字をかく理由」はいらないわけなんです。
それをかんがえると、「左手利きを矯正してはいけない理由」は、さらに意味不明の設問です。

きほんてきに、「利き手の矯正の是非」とは、

「左手利きを矯正していい理由はあるかどうか」

という一点だけです。
左手利きを矯正していい理由がきちんと説明できないかぎり、それ以上の議論は不要で、「非」です。

「左手利きを矯正してはいけない」を証明する必要はまったくありません。


きびしく問われるべきは、「矯正をする理由」です。
そこをはきちがえている。

もし、ひだりてききのこどもを矯正をするべきかどうか、迷っているひとがいたとしたら、
いちばん基本的なことを、思い出して下さい。


ひだりてききもみぎてききも、利き手で字をかくことに理由はいりません。

他人の利き手を変更しなければならないと考えるのであれば、他人を納得させるための理由を説明する責任があります。

もし、矯正をすることを選択するのであれば、
その理由をきちんとかんがえて、自分も相手も納得できるように、いつでも説明できるようにしてから、ふみきりましょう。
posted by なかのまき at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 左手で字をかくこと